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先生、質問です

ロマン派の音楽って、どうしてこんなに転調が多いんですか?(号泣)
こないだのワーグナーにしても、今回のドヴォルザークにしてもコロコロ転調するのは許せるとしても、いきなり♭4つとか、♯5つとかはやめていただきたい。
でもこのコロコロ転調が、やたらとかっくいーんですけど。

久しぶりにオケの練習に出て、目も頭も手もついていかずゲロゲロだったのですが、これでやっとALWの呪縛から逃れることができるかもしれない。そういう今も、頭の中では「The point of no return」がぐるぐる状態なのですが(^^;)

コメント

主音が半音階で転調するからでしょうねえ。短い旋律を例えば一音ずつ上げながら繰り返して盛り上がっていくのに比べると、半音づつあげていくとよりロマンチックと言うかぐだぐだというか、なわけなので、主音が半音上下する転調はたくさん必要なわけです。で、0個から7個にいくよりは♭4個から#5個のほうが楽とか。

もっともその他に0個であるハ長調はあまりにどぎついのでロマン派的転調では使いにくいんじゃないかな。水彩画の中に原色入れるみたいなモンで。

先生、ご回答ありがとうございます。
たしかに主題が1度とか2度の移動ではなく、ビミョー(半音を含むってこと)な転調を繰り返していますね。ピアノと違い、Vnでは♭か♯かというのが大きな問題となるので、辛いモノがあります。頭ではわかっているのですが、実際はちゃんと弾けているかというと、これがまた問題で(涙)

>水彩画の中に原色入れるみたいなモンで。

明快な例えっすね。ちなみに水彩画ではホワイトとブラックの絵の具は使わないのだよ、確か。

ごめん、「水彩画の中に原色入れるみたいなモンで」というのは印象派に言ったほうが良いかもしれん。後期ロマン派では豪壮に塗りつぶす感じ、というのは和声的に7度ではなく9度11度13度まで塗りつぶしていってその中で増和音や減和音を使用していくともう半音含めて何でもありなんですね。その和音の中の音をたとえば旋律的に拾ってブリッジにして瞬間的に他の調へ飛んだりすると、これはもう何でもありなんですわ。何でもありだけど、逆にそういう体系の中で3度転調や5度転調が目立つとバランスがくずれるわけで、そのあたりの感覚が作曲者の技術ではありますが。

で、半音階転調なんでもありを通すと無調へ向かうし、その先には音の共産主義である12音音楽にいきつきます。(その先には強弱やリズムも共産主義化してしまうセリー音楽などあるけどね)。こうしてみるとソ連は古典的リアリズムじゃなくて12音音楽を思想的には主張すべきだったんだろうか。。。まあ民衆にはついていけんわけだが。

で、そういう構成による転調ではなく旋律的なブリッジによる刹那的な転調では短い小節で別調にすぐ移行するので、全部臨時記号でやったほうがいいわけですね。あたしも全部#ついてたり、全部♭もやったりしてます。そうなると最初から別調なんだけど、スコアはハ長調のままで全部臨時記号でやるとか。こんな時は頭の中では調性は持たずに絶対音としてみて演奏したりしてますが良いことなのかどうか。

なお、印象派でもドビュッシーなどは同じ共産主義でも全音階による6音平等主義で、これは貴族と平民みたいでおもしろい。

先生、いきなり漢字が多くなったんですが(汗)

しかーし、なかなか面白いお話でございました。ドヴォルザークはまだ何でもありという感じではないのですが、たぶんブルックナーあたりが該当するかと思われ。主題が律儀にあちこち出てきて(すぐにわかる)、これまた律儀に転調しまくるので、こないだやったワーグナーよりは好感が持てます。

古典派ではスコアは同じ調のままで、臨時記号による転調が多いですね。どっちにしても、つい調性なんぞ吹っ飛ばして弾いたりして。これって聴いている方からすると、ちゃんとした音楽に聞こえているのかなぁと日々思っております(反省)。

ドヴォルザークは国民楽派といわれておるのでは。

そのとおりだけど、ドヴォルザークはロマン派とのミックスって感じかな~と思っています。旋律は泥臭い(!)けどね。

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