涸沢へ行ってきた(その1)

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本来この記事のタイトルは「北穂高岳に登ってきた」になるはずだった。だがいろんなアクシデントが発生した結果、手前の涸沢カールで帰ってきたというお話。
私の休みは8月12日〜15日なので、そのうち12日〜14日の2泊3日を山行きに充てることにする。宿泊はテントで、場所は2泊とも涸沢だ。12日と14日は移動、13日は朝から北穂高岳に登って下りてくるだけ。余裕ありありの計画だ。

12日は2時過ぎに起きて最後の準備。睡眠時間は4時間弱だけど、うまく行けば平湯温泉の駐車場で仮眠をとる時間はあるだろう。そう思いつつ眠い目をこすりながら金沢を3時ちょっと前に出発。山越えをして、福光ICから東海北陸自動車道に乗る。ここまでは初めての道ながら迷うこともなく、すばらしいスタートダッシュである。
ところが、だ。飛騨清見ICを出て高山清見道路に入り、さらにR158を安房峠方向に向かうつもりが、反対側に行ってしまった。こっちでいいのかなあ、と思いつつ(まだ真っ暗)車を走らせていたのだが、気がついたときは高山清見道路の高山西ICに戻ってきていた。その時間、推定20分。とんだロスタイムだ。おまけに高山から平湯温泉までは思ったよりも距離があり、駐車場で仮眠どころか上高地行きの始発バスはとっくに出た時間に到着してしまった。

しかし一般市民よりも早く動く山ヤの性質上、上高地行きのバスはガラガラ。バスの中でうたた寝しているとあっという間に上高地到着。快晴のバスターミナルを出発したのは6時半。ほとんどの人間が横尾を目指し、そこから槍ヶ岳と穂高連峰に分かれるというわけだ。

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こんな感じで、梓川のほとりを淡々と歩く。標高差はあまりなく、ゆるい上り下りがたまにあるだけだ。背中に15kgのザックを背負った私だが、足取りは軽い...今のところは。
歩き始めて1時間、明神池に到着。明神館にはりんごがたくさん冷やされていた。帰りには絶対に食べよう、と固く心に誓って先を急ぐ。

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さらに1時間歩いて、徳沢に到着。徳沢は井上靖の小説「氷壁」のゆかりの地とのことだが、読んでいないのでピンと来ない。確か前穂でのナイロンザイル事件をモデルにした小説じゃなかったっけ...。ほんまもんのナイロンザイル事件の遺品は、大町山岳博物館で見てきたんだけどね。
ここにはキャンプ場があり、なかなかよさげな雰囲気である。しかしまだ楽々と歩くことができる私は、さらに奥地を目指して歩くのだった。

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上高地から3時間で、横尾に到着。ここは槍ヶ岳・穂高連峰・蝶ヶ岳の分岐点なので、休憩している人も多い。私もザックを下ろして、少々まったり。
しっかりとした道案内表示には「槍ヶ岳11km」と書かれてある。そうか、槍ヶ岳まで11kmもあるんだ...と思った私、何を考えたか(何も考えていない)その槍ヶ岳方面に吸い込まれてしまった。おいおい、今回は穂高へ行くんだぞ。思いっきり道を間違えているじゃないか。おまけに途中で蝶ヶ岳の分岐を見たにもかかわらず、黙々と槍ヶ岳への道を歩いてしまった。
地図もコンパスも持っているというのに、一体何をやっているんだか。つーか、周りに人がそれなりにいたので、何も考えなかったんだな。人がいないとかなり緊張して歩くのだが、完全に緊張の糸が切れていた。おまけに「緩い登りで川の右岸を1時間くらい歩く」というのは、槍ヶ岳行きも穂高行きも一緒なんだよ(言い訳)...晴れているんだから、太陽の位置をちゃんと見ろよ!(←大バカ)。
1時間くらい歩くと、橋があった。そうそう、これから登りがきつくなるんだよねえ...と思ったら、「←槍ヶ岳」という標識が。え?槍ヶ岳??おいら槍に行くつもりは全くないんですけど。と簡単に書いているけど、かなり動揺した。どうしようか、このまま槍ヶ岳に方向転換しようか。でも槍ヶ岳って興味ないんだよなあ。私みたいな高所恐怖症は絶対に穂先まで行けないだろうし。なんだかテント場も中途半端な場所だし。...戻ろう。

というわけで、横尾まで早足で戻るが、2時間のロス。15kgを背負った身には痛すぎるミスだ。とぼとぼと穂高のベースキャンプである涸沢へ向かうが、40分くらい歩いたところで足が痛くなってきた。どうやら登山靴のせいらしい。橋まで来ていないのに足は痛くなるわ、どっと疲労が出てくるわ、で一気にネガティブモードに切り替わる。単独行なんだから絶対に無理しちゃいかん、と自分に言い聞かせ、横尾に戻ることに。横尾にはキャンプ場があるので、そこで泊まればいい。で、明日のことを考えよう。
そんなことを考えて引き返すまで、横尾から50分。結局この日4時間(車のを合わせると、4時間半強)近くがロスタイムとなってしまい、翌日以降の大幅な予定変更を余儀なくされてしまった。

...続く。

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このページは、しづが2011年8月15日 21:04に書いたブログ記事です。

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