中村神社
食欲の秋、スポーツの秋ですが、みなさまはお元気でしょうか。私は全然元気ではありません。
先週の日曜日、清々しい好天のさなかに下り坂をジョギング中転倒し、あちこちボロボロです(ToT)
パッと見ると右脚の半分が擦り傷で皮膚がむけてしまい、痛いわ浸出液出まくりだわ・・・週前半はまともに歩くことができなかったが、一週間経過した今日だと、歩くのにはそんなに支障は無い。ただ二次災害(テープによる皮膚のかぶれ)が発生してしまい、現在は脚がただれまくっている。二次災害のほうがひどくなってしまい、かゆくて痛いのはどういうこと?いつになったらジョギングできるんだ??
それよりも問題は、両手首。転んだ時にコンクリートで強打したのだが、今日になってもまだ痛い。特に左手は、ちょっと意図しない力がかかると「いったーーい!!」と叫ぶ羽目になる。転んだ翌日に整形外科へ行ったのだが、特になにも指摘されず、レントゲンすら撮らなかったからなー。手首が痛いと、日常生活に支障が出るので困ったもんだ。
それは置いといて、先日歯医者の待合室で「金澤」というタウン誌をペラペラとめくっていたところ、「金沢遺産の旅」という特集で中村神社の拝殿が出ていた。中村神社のことを知らないわけではないのだが、そんなところに「遺産」と言えるようなものがあるとは知らなかった。というわけで、足のリハビリがてら行ってみた。
中村神社の「遺産」とは、金沢城の二の丸にあった舞楽殿(能舞台)だという。前田家歴代藩主がそこで能を舞ったという由緒ある能舞台だが、なんでも明治維新後、卯辰山に戦没者慰霊拝殿として移築されたらしい。時代は下り昭和39年、中村神社の氏子で拝殿を新築しようという話になったのだが、卯辰山に放置状態となっていた舞楽殿を移築し拝殿にしようということになったわけだ。
実は中村神社のすぐ近所(徒歩2分)に、私は生まれてから5歳まで住んでいた。必然的に、お祭りに行ったりセミ採りに行ったりしていたのだが、こんなものがあるとは全く知らずセミ採りに興じていたらしい(w
さすがに本殿は吹きさらしではなく、ちゃんとガラスサッシで囲われている。「ご自由にお入りください」と書かれているが、サッシをガラガラと開けてお賽銭やおみくじを引くのも、なんだか変な気がする。
自転車がたくさん停めてあるが、本殿には小学生が数人ゴロゴロと寝そべってゲーム(ニンテンドーなんとからしきもの。決してボードゲームではない)に興じている。ここんちのお子&その友人とみた。
建物は総ケヤキ造り、欄間は武田友月という加賀藩の名匠の作品である。天井の派手な絵が美しいっす。
奥は舞楽殿ではないのだが、なかなか立派。出るときに気がついたのだが、扉にもしっかりと前田家の紋が入っている。それにしても、しっかりとした木の扉だなあ。
ここが私が住んでいた家に続く道。二人がすれ違えないくらい狭い(w
で、住んでいた家はまだ存在していた。建て直したようには見えないのだが・・・築50年近く経っているはずなんだけどね。それでもまだ人は住んでいたので、結構びっくり。その家の周囲は昔とあまり変わりがなく(写真の白いガードレールは無かったが)、昭和40年代がそのままタイムスリップしたようだった・・・が、5歳の頃の記憶なんて曖昧だからなあ。結構変わっていたりして。