R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」は副題に「23の独奏弦楽器のための習作」とつけられているが、とても習作というものではなく、技巧派の職人が最後の最後に自分の心情を吐露するような、この1曲でゴヤの「黒い絵」に匹敵するような音楽だと思っております。なんせドイツ・ロマン派音楽の死、民族の死、ドイツ帝国という国自体の死をかみ締める音楽。
この曲についてはカラヤン指揮ベルリン・フィルの、最高に美しくありながら身もだえするような演奏がたまらん。この演奏をじっくり聴いていると本当に泣けてしまう自分がかわゆす。カラヤン指揮ベルリン・フィルっていろいろ言われるんだけど、R・シュトラウスに関しては本当に名演が多いと思う。またカップリングが「死と浄化」なのもよいですな。ただ、初期の作品である「死と浄化」の観念的で救済のある世界と終わりの終わりである「メタモルフォーゼン」ははるかに遠いんだけど。カラヤン指揮では70年代の旧録音の方が手に入りやすいかもしれないんだけど、こちらは持っていないのでよくわからない。が、これも好きな「4つの最後の歌」が入っているので、こちらもよいかもしれない。。。と書いていたら欲しくなってきた。
ルイージ指揮シュターツカペレ・ドレスデンはSACDで、とても良い演奏だと思う。思うが、身もだえはできないし、泣くこともできない。「音楽作品」の良い演奏と、それが感情的な意味での名盤の間の壁は何故生じるのだろうか?こればっかりは楽曲分析やミクロの演奏分析を行っても出てこない気がする。
ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管のものはボックスのR・シュトラウス管弦楽曲全集の中のものなのだが、演奏もきれいだし丹念に弾きましたというだけの薄味、というよりも塩分0の演奏で、この曲でこんなことをやられるとがっくりする。他の曲の演奏も薄味なんだけど、それなりに聴けるのはもともとR・シュトラウスの曲が油と塩分が濃すぎるためで、名演にはならなくてもまあそんな演奏もあってよいかなとも思うけど、この曲ではだめだ。
スロウィック指揮スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズのものはガット弦による演奏で、ヴィヴラートもほとんどかかっていない。曲の出だしからの響きが凄い。こういうのこそSACDで聴きたいのですが。。。音色のひなびた感が曲想にあっている。丁寧なのはCDの最後にわざわざ2分間あけた後に曲目説明の譜例の演奏が入っていること。指揮者の熱血ぶりがわかるなあ。短くてもこういうのはわかりやすい。。。とはいえ、やはりこういうのは不便なので、iPadとかでの電子書籍という形にしてくれないかなあ。
ナッシュ・アンサンブルによる演奏は弦楽六重奏によるもので、違う意味ですっきりとした感じであるが、これも良い演奏だと思う。夜遅くにゆったりと音楽に浸るにはこういう室内楽編成がよいかもしれない。編成が薄いので曲の構成がよくわかるけど、身もだえしたいときには使えないのです。
手元のCD
- カラヤン指揮 ベルリン・フィル ×2枚もってる
- ルイージ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
- ジンマン指揮 チューリヒ・トーンハレ管
- スロウィック指揮 スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ
- ナッシュ・アンサンブル (弦楽6重奏版)
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