もともと推理ものは好きだから、写楽の謎も好きなわけで、最近のきっかけは週刊新潮に島田荘司氏が連載していたのを知って、最後のほうは購入して読んでいたのであるが、なるほどオランダ人説ですか。。。
で、続けて中公新書で、中野三敏氏の「写楽―江戸人としての実像」を読んだ。「江戸方角分」を用いた証明はおもしろい。阿波藩士斎藤十郎兵衛が写楽である、なのだが「江戸方角分」の記事では「空白」なので理由はわかってもちょっと弱いなあと思ったりである。ただ、斎藤月岑著の『増補・浮世絵類考』を軽く見ることなんてできないというのはそのとおり。
ただ。この本と以下の「東洲斎写楽はもういない」をあわせて読むと超強力である。
というわけで明石散人氏と佐々木幹雄氏による「東洲斎写楽はもういない」に再び戻って、目からうろこが落ちまくる思いであった。確か文庫で出た頃(1993年位か)に読んだはずなのだが、トウシュウサイ→トウジュウサイしかわかっていなくて、言葉による証明かと思っていたのだ。なんて愚かなあの頃の私。つうか推理小説的な面白さを求めていて、まったく問題の本質がわかっていなかったのである。
その後「増補・浮世絵類考」を読んだり(もちろん文庫本で文献として)、他の説もいろいろ読んだりして、何が問題かきっとやっとわかってきたのだった。また斎藤月岑については「武江年表」「江戸名所図会」を知った後に彼の著述を軽く見れるかといえばまったくそんなことはできず、月岑先生が断定的な書き方をしているとするなら相当の理由があるはずなのである。今回読み直してみて、やっと浮世絵類考の異本の意味や斉藤斎藤十郎兵衛と斉藤与右衛門の親子の意味が今頃わかったりである。また、今回はクルトの証明の要約はめちゃくちゃおもしろかった。
その後、やはり一通り絵も見ておこうとポケット文庫で購入した。この本は文庫サイズだが全作品がカラーで見ることができるので便利である。おっと最近のギリシャの肉筆画は載ってないですけど。やはり第一期と最後のほうでは差がありそうなので、作成時期や第一期の写楽が斎藤十郎兵衛としても、その後の状況はまだいろいろ説を考える余裕があるのだと思う。
というわけで、「東洲斎写楽はもういない」ので他の説も楽しんで」読めそうである。
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