どうも咳が止まらないので駅前の小さい病院にいったら、即座にアレルギー性気管支炎でしょうね。と言われた。病状を聞くと今までの経験に当てはまるので、たぶんそうなのだろう。ということは大学のころからのおつきあいかな。若いころは数年に一度の発症だが、最近は1,2年に1回は発症しているのでやはり免疫力も落ちているのだろう。しかし偶然アレルギー専門の医者でよかった。その曜日の午前は担当だったらしい。危ない危ない。かつて京都で咳に七転八倒しながら病院へ行ったら、風邪でしょう、それはそれとして痩せませんか?と言われたが、ほんまにあのときの医者は殺す。-_-#) もっとも発症してしまうと1ヶ月ほどおさまりを待つしかない。対症療法的な薬はもらってきたけどね。
というのはさておき、最近「謎解き 広重「江戸百」」という新書をつらつらと読んでいたのだが、これがおもしろすぎる。江戸百景といえば広重の最晩年に一世一代としてだされた刷り物だけど、単なる連作風景画ではなく、そこに「意味」を見出そうというのである。つまり、その題材が選ばれた意味、構図の意味、などが実にあざやかな推理小説のようによみがえるのである。もちろん広重に本当にそんな意図があったかは自筆の文章でもでてこない限り証明はできないんだけど、ああ確かにそうに違いないと思わせるだけの内容がある。
そして、今の私たちが今読むべきであるのは、この「江戸百景」の中の数多くの絵が安政大地震からの復興の姿につけて作成されていることである。例えば最初を飾る浅草金龍山では、地震で曲がった五重塔の天辺が修理されたことと連携しているように。今の私たちが浮世絵に感じる絵画としてのイメージのほかに、当時はニュース性や話題性も大きな意味を持っていたに違いない。私たちはビデオや実写でその災害の生々しさを味わったけれど、復興の姿がこのような芸術的に著される日は来るだろうか?この150年で私たちは失ったもののほうが大きいのではなかろうか?最後は広重が亡くなったため2代目広重が補った作品も含めて四季の部としてせいりされました。芸術性は残ったが、リアルタイム性は私たちの前から消えました。
著者の原信田 実氏は2007年に癌で亡くなられましたが、この本はその3ヵ月後に出版されました。ぜひ1冊手にとって手元に置いていただきたい。ぜひ。
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