ラピスラズリ

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山尾悠子さんの「ラピスラズリ」を読んだ。初山尾悠子。

山尾悠子さんの本は読んだ事がなかったけれど、国書刊行会が喜んで出すようなら、それはそちら(どちら?)の方向だろうと思ったのである。もっとも「ラピスラズリ」は国書刊行会で出版された後、最近ちくま文庫に入ったので購入した。ハードカバーが買い難い私。

で、「ラピスラズリ」は連作長編である。連作物語の枠に当たる「銅版」、目覚めてしまった娘とゴーストの物語である「閑日」、冬眠者たちの棟開きの日の騒動を描く「竃の秋」、海に沈みゆく町での物語り「トビアス」、聖フランチェスコと若者の物語「青金石」が互いに響きあうように語られます。冬眠者、人形、銅のメダイ、落ち葉枯れ葉のイメージが、それぞれの話の中で伸びたり縮んだり裏返ったり、ある時は通奏低音にはいったりして、まるで「音楽の捧げもの」、いや「言葉の捧げもの」というところであろうか?ロマンチックなところはフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」のような小説。。。なんのこっちゃ。

冬眠者というイメージをつかいきって、死と再生の物語が展開されます。そして、その死さえも幻想的であるような。1~3話が小説としての変奏とフーガ、4話目は間奏曲、5話目は主題つうことですか。国書刊行会の作者のインタビューのページがもうなくなっていてちょっと悲しい。というわけで、死と再生であることはよくわかりながらも、いつもの勝手な妄想を書きます。良い幻想小説はとんちんかんな妄想をする余裕があるということです。

主題として母と娘のイメージが強いように思います。そして、娘が母の手を離れて目覚めること、これは冬の目覚めでもあるし、1話や4話にも現れる強いイメージのように感じます。母の死による独立あるいは遠く離れていた母との関係の再構築のような気もする。で、物語自体は死と再生なんだろうけど、やはり主体は、眠り、死、滅びのほうが強いのかなと思う。少なくとも描くほうとしてはそちらに力が入っている事は確かだろう。

どこかのサイトで、物語を時系列でみて冬眠者の後裔みたいな並べ方をしている人もいましたが、私はそれぞれの話が同レベルで並んでいて、多世界的に密やかに因果やルールでつながっているという感じ方の方が好き。

というわけで、山尾悠子、他の本も読みたい。。。

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このページは、なおきが2012年3月29日 22:55に書いたブログ記事です。

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