なんか最近のシューマンはヤルヴィみたいな演奏に触れることが多かったから、こんなにゆったりとして音楽というものは幸せなものだということを感じる感触を失っていたようだ。まったりもよいなあ。そういえば、ハイティンクの最近のものでそれはわかっていたはずなのに。アバドも偉大なる中庸なのかもしれない。なんかロマン派のモーツアルトであるかのような演奏。本来ありえへん。入っている序曲2曲も良い演奏ですね。しかしアバドのシューマンってこれしかないのね。最初で最後か。。。
さて私にとってアバドは、と考えてみると、高校時代に買ったDGのマーラーから始まっていて、マーラーやストラヴィンスキーが得意な人なんていう意識だった。そう、他には最後奏者の歓声がはいったというラヴェルのボレロとか。ベルリン・フィルの常任になってからは、そんなに買わなかったなあ。本当に中庸という感じがしてそれにはベルリン・フィルは硬すぎる。私にとってはマーラー指揮者のままなのだが、どうなんだろう。印象深いのは旧録音のウィーンフィルとの4番やベルリンフィルとの5番で後のものはSACDでも買いなおして、なぜか私の5番の基準になっている。これはもう一つのクラシックのブログで書くことにしよう。そういえばブルックナーの5番も持っているとはいえ、他にあんまり買わなかったなあ。申し訳ない。
とりあえずシューマンを聴いた後で、今夜はマーラーの4番で追悼することにしよう。
あー、バルトークのピアノ協奏曲もあったなあ。ポリーニと。