引越しが一息ついたら小説づけがいいな。でもリハビリにナボコフは断食明けに焼肉食うようなもんだろうか?ナボコフの短編といえば作品社の「ナボコフ短編全集1・2」が決定版だけど、持ってはいるが、さすがに小説断食明けにそこまでの体力はないので「ナボコフの一ダース」にした。今まで、読み始めて何度も「フィアルタの春」で寝てしまっていたのだが。。。
「フィアルタの春」
確かに評判どおりでとっても好きなのだが、体調によっては文章の長さに脳がついていけず、寝ちゃう。ニーナとの出会いは・・・あんた、ストーカーしてるでしょ、ってワタシは思っちゃうのだがどうだろう。あんた美化して書いてるよね、そりゃ美化されていれば美しいわよね。なんだけど、それがきっと芸術で、でもそうだとしても、いやだからこそこの作品は大好きだ。ということでそのまま味わうのと信用できないビクターの一粒で2度おいしいかも。
「忘れられた詩人」
なんかとぼけた感じが好き。
「初恋」
最後の記憶の中に消えていくコレットの描写が美しい。
「合図と象徴」
アンズ、ブドウ、スモモ、マルメロ、リンゴにどんな意味があるのか気になって眠れない、、、寝るけど。 頭文字とか?
「アシスタント・プロデューサー」
世の中あらゆるところに陰謀あり。でも落とし穴もあり。。。というのをアシスタント・プロデューサーの視点が割り込むのがおもしろい。司馬遼太郎もそんな感じか?
「夢に生きる人」
なんだかナボコフにしてはストレートな終わり方で、読めていないのだろうか?蝶に生きるというか趣味をこえて夢に生きるのはわかる気がする。夢見ているときが一番美しいのだとは頭ではわかっていても。
「城、雲、湖」
周囲との差にもう身につまされる思いで、笑えるんだけど、現代でもぜーんぜん変わらない。人間が一番怖い。行きたくもない旅行。。。あるある。
「一族団欒の図、1945年」
同姓同名の二人の視点を枠物語として、ドイツに対する評価の対立の視点が微妙に重なるのね。
「いつかアレッポで…」
あんた、やったわね、殺っちゃったわね。。。と読んでみる。 海に落としたから漂っているんだよネエ。
「時間と引き潮」
その同時代に関する評論を数十年後の視点から書くというのがおもしろい。でも、その数十年後と同時代になってしまった視点で読むのはもう一段階の階層が必要じゃ。
「ある怪物双生児の生涯の数場面」
本来長編になるはずの一部のようだが、長編になると二人の間にどんな仕掛けがはいったんだろう。
「マドモアゼルO」
過去への追想でありながら、何ものかをつかみそこねたのではなかろうか?という韜晦がすてき。色鉛筆の展開は「透明な対象」に近い、とも思ったが、元はロシア語で書かれたころのものなのね。
「ランス」
英雄譚を元にSFに翻訳するのは良くあると思うが、それを下敷きのようにして、その英雄の裏側にいる人の視点からの記述がおもしろい。宇宙旅行は登山だったかと勉強になった。ランスとボーグ夫妻の間の溝の深さが興味深い。また上がるランスと降りていくボーグ夫妻。でもランスロットという英雄的な名前をつけたのは夫妻だよね。
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