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December 02, 2003

●無知

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ミラン・クンデラ(Milan Kundera)「無知」を読了。クンデラを読むのは何年ぶりだろうか?前に読んだ「不滅」が1992年の出版のようなので、10年以上が過ぎている。だがしかし、ほんの2,3行読むだけで、「ああクンデラだあ」と幸せな気分になれるのは何故でしょう。

うはいってもたくさん読んでいるわけではないのです。「存在の耐えられない軽さ」「不滅」しか読んでいない。まだ多くのクンデラの小説が今後のために本棚に積まれているのです。しかし、その積まれた本ではなく、ついつい新刊にいってしまうあたりが軟弱かしらん。「無知」は前述の2冊に比べると相当軽くてすいすい読めます。いや、クンデラの小説は読むのはどれも問題はないのですが、その主題や登場人物の対位的な構造、その周囲を彩るエピソードと少々脱線した(それでも主題に直結した)話題の数々に比べると、まとまりが良すぎるかな、というかんじです。しかし、クンデラこそがカルヴィーノがあげた現代文学の必要性「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」をもっともうまくまとめた小説家かもしれません。その作品は明快であると同時に、多様な思考と考察を読者に強います。それでいて全く重くない。まさにこれこそが「小説」であってほしいと思います。

「無知」は共産主義が崩壊し、亡命生活からチェコの故郷を訪れる二人の男女を軸に、いつものクンデラらしくその周囲の人物も含めて、出来事とその解釈、思考を多面的にとらえます。それでいて一編のコントのようなおもしろさもあり、うーん、クンデラったら、相変わらずずるーいと嫉妬したくなるくらいうまい。

「存在の耐えられない軽さ」は映画化されて有名になりましたが、小説のほうが数倍面白く、深く、感動的です。たぶん私の考え方に根本的に影響を与えた小説で、20代にはいろいろなことを考えすぎていたのに対して、30代はどちらかというと楽観的実存主義に変革してしまった原因であります。トマシュの「軽さ」とテレザの「重さ」も含めて、最初の読書から10年経った今もう一度読むべきかもしれない。しかし、かなり哲学的な内容であり、人生に影響を与えたからといって、それだけではないのです。つい懐かしくなって最後のほうを読み返すと、涙腺が今でもうるうるきてしまいます。そして、この文章を書いている今も思い出してうるうるするのは何故でしょうか?

コメント

恥を忍んでいいますと、「あり?クンデラの新刊かい??」と思ってしまいました。「無知」とはこのことです。
だって発刊されたのが、ちょうど異国の地に行った頃だもん…と言い訳してみたりして。
私は「不滅」以前のものをほとんど読みましたが、ベストは「笑いと忘却の書」です(除:「存在の耐えられない軽さ」)。
「存在の耐えられない軽さ」は、私にとっても別格ざます。

うーん、負けてる。クンデラ・マスターでありましたか。最近文庫で「可笑しな愛」を新刊か?と思って購入したら、「微笑を誘う愛の物語」の改訳版でした。すでに本棚に積んであるのに。。。

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