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March 21, 2004

●パロマー

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コズモポリスの反動でピンチョンの「ヴァインランド」を読み始めました。10ページも読むと、ああ、ピンチョンだあとうれしくなってしまうので、やはり私はこちらのほうが水にあう。のだが、出張に際して本の重さには勝てず、文庫本で途中まで読んでいたカルヴィーノの「パロマー」を同伴し読み終えたのであった。

各場面でのパロマー氏の見たこと考えたことを数ページでまとめていき、各場面の各章毎に外界の考察、外界と自己との関係、外界から見た自己の考察をマトリックス状に配列した小説です。。。というか随筆かほとんど哲学書なんですけど、それを小説たらしめているのはカルヴィーノの知的かつ高度に透明な対象の記述である。っていうかこんなふうには書けませんよ。正確に記述することを前提にした上で、論旨に必要なように透徹に書くということ。また、数ページで巨大な世界を完結しながら配置の規則に従って構築されていて、まるでウェーベルンの音楽のようでもある。それは思想が純化した世界でもあるのでしょうか?(もちろん私はウェーヴェルンだけが良いと言っているわけではない。マーラーのような巨大な世界もまた芸術のあり方である)

後半に進むにつれて思想は純化され、しかも純化されればされるほど「答えはない」「相対性と絶対性、主観と客観の二面」の中で自分を見つめることになっていきます。芸術の知を推し進めるということは、あるいは知識欲を推し進めるということは、どういうことなのか、といろいろ考えてしまいました。まだ私の中で「パロマー」氏の考えたことが、客観的にも主観的にも理解できたというレベルから程遠いことは明らかであって、また数年後に考え直したいと思います。

イノセンスにでてきた仏陀の言葉の引用ですが、まるでカルヴィーノの知を追い求める姿のようでもあります。

孤独に歩め
悪をなさず、求めるところは少なく
林の中の象のように

2000年で人は進歩したのか?

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