●QED -ventus- 熊野の残照
いつのまにか高田崇史の「QED~ventus~熊野の残照」がでていた。悩みつつも購入して読んじゃった。ventusってラテン語で「風」とか。前にも書いたとおり、もう事件と過去を無理やり結びつけるのはいいよってかんじだったので、このくらいがちょうど良かった。内容は熊野詣ですが、その回る順序や熊野という土地にまつわる「意味」を考えさせてくれます。推理小説風な部分は、まあご愛嬌と言うことでこのくらいがちょうど良い気がする。タタルくんが事件にまでがんばる意味はないんだし。
【追加】ちょっと夫須美神追加。
で、おもしろいんだけど、一般向けかと言うとちょっとねえ。相当に日本創世の話をわかっていないとわかんないだろうしなあ。また、謎解きは納得行った部分もあるんだけど、私はもともと原田常治「古代日本正史」の影響を受けているんで、熊野速玉大神が伊弊諾とは思えないんですよね。どう考えても素戔嗚尊だろ?家津美御子大神はスサノオではなくやはりニギハヤヒなんでしょうなあ。
私見としては、ニギハヤヒの頃に熊野本宮大社として父であるスサノオを祭った(あるいは出雲の熊野大社から和歌山に勧請した)ものを、その後神武(崇神)天皇以降に大物主である天照国照火明櫛玉饒速日命を熊野本宮大社に祭り、スサノオのほうは麓に新しい宮を作って熊野速玉大社としたんじゃないかと思うなあ。元々はスサノオであったほうが熊野と言う名前を出雲からもってきたと考えやすいし、熊野は大和にとっての常世の国だったんだろうと思う。現在の祭神の解説はちょっと違っているように思う。スサノオに関しては牛頭大王ともなっているので、元々が熊野の印は牛王宝印でおかしくはないと思うけど。
熊野本宮大社が家津美御子大神となっているのは、その後日本書紀作成時のニギハヤヒ抹殺のときに神様の名前もわからないものに変えられたんだと思われ。もっとも家津美御子大神は「けつみのみこのおおかみ」と読むみたいだけど、家津は「言えず」とも読める訳で、「(口に出しては)言えない美しい御子」という裏の意味があるようにも思える。もちろん美しい玉というと当然櫛甕玉(くしみかたま)=天照国照火明櫛玉饒速日命のほうですよね。スサノオは櫛速玉(くしはやたま)だもんね。
そう考えると、詣でる順番は本の中の5行説もあるけど、根本的には大和の貴族としては、大物主でもあるニギハヤヒを詣でて、その父で出雲の大王であったスサノオを詣でるのが順番なのも当然のような気がする。
と、いろいろ書いてきたけど、こういうのが好きな人には面白い本なので読んでもらいたいけど、タタルくんと奈々ちゃんの行く末ばかり気にしているようではけっこう辛いかもしれない。と言うのは、他の歴史の謎と比べると熊野の話は地味だし、少しは事前知識がないと楽しみきれないような気もするからである。でも私にとっては書いたとおり、推理小説とのバランスはもうこのくらいがベストなのだ。残念なのは熊野三社とか写真がほしいなあ。。。
【追加】ちょっと熊野那智大社の夫須美神について。フスミ神は伊弉冉尊ということになっているけど、名前から言うと、フツ(スサノオの父)、フツシ(スサノオ)、フル(ニギハヤヒ)の名前の系統のようにみえる。それで関係する女性と言うと高照姫(ニギハヤヒの娘、神武天皇の妻)の名前のようにも見えるなあ。ただ他の神様の名前とちがってどこの分社でも伊弉冉尊となっているようなので、ちょっと自信がない。小椋一葉の本にあるようにイザナミが出雲につれてこられてそこで死んだとすれば、出雲側にとっては確かに怨霊となりうる神様だし、記紀神話をみてもその要素が大きいからねえ。