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September 07, 2005

●鳥類学者のファンタジア

book-Okuizumi-01.jpg久しぶりに日本の小説のコーナーで奥泉光の「モーダルな事象」を手に取り、これはおもしろそうだと読み始めたのは良いのですが(実際おもしろいし桑幸のダメぶりは親近感ばくれつだし)、どうも内容的にというか徹底的に楽しむには「鳥類学者のファンタジア」を先に読んだほうがよさそうだと途中で気付いて、方向転換しこちらを先に読みました。本当は「『我輩は猫である』殺人事件」から読むべきだったような気もしますが、近くの書店では見つからず。まあその顛末は後に書くとして、久しぶりに日本語で計算された語りを読んで、しかも音楽満載なので、楽しさ爆裂でしたよ。フォギーと霧子にもホロリときました。

「鳥類学者のファンタジア」もハードカバーで持っていて、確か読み始めていたはずなんだけどなんか忙しくなって止まっていたんだろうなあ、部屋の中で発見できず、持ち運びは文庫本のほうが楽だし解説もついてるし山下洋輔の楽譜もついてるし文庫本買っちゃえと購入し読み始めたところ、本棚の下の奥の隅で懐かしいハードカバーと再遭遇したのでした(マーフィー?)。ついでに「『我輩は猫である』殺人事件」の文庫本も発見、こちらは文庫本買えなくてよかったですよ。バックアップだと心に言い聞かせても、ナボコフの「セバスチャン・ナイト」やフエンテスの「アウラ・純な心」といった同じ文庫本が二冊づつ本棚に並んでいるのはちょっと悲しいのです(文庫本でさえペアのように見えるからではないよ)。

「鳥類学者のファンタジア」は、物語としても当然面白いんだけど、音楽の組み込み方なども楽しい。タイトルはチャーリー・パーカーの曲から来ているんだろうけど、骨までしゃぶるために一応CDも購入しましたわ。でもやはり一番楽しいのは、「フォギー」ことジャズ・ピアニストの池永希梨子の三人称(一人称)での語りで、やはり小説って「語り」なんだよなあ、と思いました。また、最近海外の翻訳の本を読むことが多かったんだけど、久しぶりに元々日本語で発想された文章は楽しくてわくわくし、やはりいくらうまく翻訳されようと、もともとの文章の構造というか発想というかやはり各国言語で違うんだろうと思ったりするのです。もっとも「鳥類学者のファンタジア」は饒舌体なのでこのわくわく感は「モーダルな事象」の部分が多いのですが、これはその後、登場人物の北川”馬鹿心”アキとともに戻る予定なので、またそちらで書こうとも考えておりますが、この30代負け犬?ジャズピアニストであるフォギーの過剰な文体も旋律をその場でちょこっといじってみたり、着地点を変えてみたりで大いに楽しみました。

でも物語としても、二人のキリコの再生の物語でほろっとさせながらSFありーのオカルトありーので仕掛け満載、登場人物も佐知子ちゃんがまたおもしろく、不思議な加藤さんも含め女性陣大活躍(メギス夫人もだな)、男はといえばもう彼女たちの周りでダメ男ばかりな感じでまたその過剰感がなかなかたのしいです。特にとんでもない状況でもなんかずれてるフォギーや佐知子ちゃん加藤さんは、こういうおもしろさって「異化」なんだろうかと私の無知ぶりをさらけだしながら、そういえばこういう「ずれ」のおもしろさってゴーゴリとかから特徴的だし、やはり小説の本質ってこういうところじゃないだろうかと思ったりするのです。

音楽の仕掛けとしてはジャズの知識はもちろんクラシックの話やオカルト的な「オルフェウスの音階」や「ピュタゴラスの天体」といった話があって、でもこれはケプラーの話も含めて「星界の音楽」(ジョスリン ゴドウィン)あたりであったなあと思い出して確認したいと思ったんだけど、これも部屋の中で異界へと彷徨っているらしく発見できていません。まあこれはネタだとしても、フォギーがピアノを演奏するシーンの記述は音楽的な幸せ度爆裂なので、それだけでもうれしくなってきますね。

さて、奥泉光の作品は「葦と百合」「グランドミステリー」シカ読んだことありませんでしたので、この際「バナールな現象」「ノヴァーリスの引用」「文芸漫談」なども購入し、準備万端で行こうと思います。もちろんまずは「モーダルな事象」に戻るんですが、予習ばっちり2章で北川アキとともに池永希梨子がでてきますが、フォギーッたら北川アキの視点から書くともうどうしようもないですが、それもまた楽し。

カテゴリーに日本文学がなかった。。。とりあえず「推理小説など」で。

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