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September 25, 2003

●ストーリーを続けよう

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ジョン・バース(John Barth)の第二短編集。やっと読み終わりました。玖保キリコの装丁にだまされると偉い目にあいます。

日本も失われた10年と言われて久しい、というかもうすぐ15年だろうが、自分も30代に何をしてきたかというと忸怩たる思いがある。会社内でいろいろな仕事をしてきた。失敗もあったし成功?(に近いもの)もあり、確かに自分の能力と経験はついただろう。しかし、仕事の成果で何が残っているか?何も!組織を半年や1年で動かしてきた会社の体制や姿勢の問題にすることはたやすいことであるが、「何も」残っていないとすれば、休日や自分の時間をつぶしてまで行ってきたことへの「意味」はなんだったのだろうか、と振り返っているの最近である。

音楽のほうも文学のほうも、今は忙しいからしかたないと自分に言い訳してきた。が、その結果が何も残らないのであれば、言い訳する自分にも愛想が尽きたと言うところであろうか。ひとつのきっかけは2年前の父の死がある。もう時間が限られているのだ、というのを目の前にしたときに、もう「忙しいから」とか「まだ時間はあるから」とかはいっていられないと思った。音楽についても文学についても、自分の「失われた10年」を取り戻す必要があるのです。あります。

音楽では、もう一度クラシックにしろプログレロックにしろ聴きなおそう、そして拙くとも楽譜とじかに接して「自分で」音にするところから始めようと思っている。その拙さと進歩のなさに辟易とするが、もはやそれを恥ずかしく思っている時間すらもったいないのだ(でもパチスロしたり出歩いたりする無駄な時間も増えたのだが)。

そして小説、この十年にたまったハードカバー類、ワタシの現代文学へのアプローチをもう一度始めなければならない。ボルヘスからはじめて現在リハビリ中なのだ。しかし不安はある。ありまくりです。なんせ10年前とは感性が違う。枯れつつある感性でジョン・バースなんぞに感動できるものであろうか、というところから「ストーリーを続けよう」。ここまでの御清聴ありがとうございます。

さて、ジョン・バースと言えば、ピンチョンやデリーロとならぶ現代米国文学の巨匠、大長編小説家でございまして、私の対戦記録は敗北の歴史でもあります。えーと一応読み終わったものを勝ちとしております。勝ったのは初期の3冊くらいで、あとは数ページで挫折、「金曜日の本」も挫折でした。でもね。バースも悪いと思うんですよ。小説手法がうまいのはわかるけど、そちらが主体になっちゃったり、後期ではチェサピーク湾と航海と台風の話ばかりだったり、本が重かったり(持ち歩けない)、「レターズ」のように今までの小説の登場人物ばかりがでてきたり(他の読むまで読めないじゃん)。でもあの頃「キマイラ」は死ぬほど面白かったんだよなー。

久々に、新刊が出ていたので、短編集ということで読み始めたのが「ストーリーを続けよう」です。なんか「金曜日の本」のような構成で、中年夫婦を元にした連絡短編集のような形式で、全体がフラクタルに構成されています。フラクタルや量子力学への言及も相当多いです。また、中年夫婦のストーリーでありながら小説と言う形式自体の小説にもなっているわけです。頭ではわかるんだけどさあ、普通は感情移入できないっすね。やはりこりゃリハビリにはむいていなかったかな。たぶんフラクタルとかのアイデアとかをボルヘスが書くと、もっと静的で客観的な話になるのでしょうけど、バースだとどうしてもこうなっちゃうでしょうねえ。最初は、ちょっとこりゃまた敗北かな、と思いました。

しかし、さすがにバース、後半以降は引き込まれて、最後はちょっと涙ウルウルしちゃいました。普通の人はきっとウルウルできないと思うんだけど。そのシチュエーションがわかった時に、今までのお話の意味がつながったときにこそ、その愛の一つの形に味があります。というか味を感じられるかどうかだな。

でも、、、相当経験を積んだ読み手でないと、とても読みつづけることは難しいですね。玖保キリコの装丁にだまされないでください。でも、ちょっと見かわいい雰囲気だけど、中には強烈な毒があるところなんか、実はよく実体を表しているかも。しかし、バースの場合、その毒も手段や手管がある程度見えているだけに、自家中毒的なところがあって、大学の現代文学の教科書的サンプルみたいになっちゃうんですよね。ただ、そこから「小説」になり得るかどうかは、読み手がその手管を楽しんだ上で詩情を感じられるか、なんらかの感動を得られるのかでしかないでしょう。とすると、「小説」が「小説」でありうるかどうかは、作品自体に絶対的な意味があるのではなくて、読み手のレベルや感情的な針も深く関係することになります。バースの作品は読者にサービスしていますが、「わかった読者向け」です。

「で、どうだったの」と彼女。「結局、感動しちゃったんだよ」と彼。。。

さて、次はピンチョンかエリクソンか南米にいっちゃおうかなー。本を選ぶ瞬間が一番楽しいですな。