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January 03, 2004

●青白い炎

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ウラジミール・ナボコフ(Vladimir Vladimirovich Nabokov, 1899-1977)「青白い炎」をやっと読み終わった。本当は2003年中に終えたかったのだが、なかなかそうはいかず。ナボコフは「ロリータ」ばかりが有名な気がするが、未読。私は短編集である「ナボコフの1ダース」ですら敗北しつづけてきたのであるが。「青白い炎」は実験小説といいながらなんのなんの、面白すぎる。

小説の体裁は、ジョン・シェイドという詩人の長編詩「青白い炎」に隣人で大学教授のキンボートが注釈をつけたもの(前書きと索引もある)というものだが、この注釈が奇態であって(いや前書きから奇態であるが)、詩のことはそっちのけで、キンボートが祖国ゼンブラのチャールズ最愛王であった頃から革命・脱出・暗殺者の到来といった内容を、詩の短いフレーズを曲解した上に展開(というか放出)していくというものです。どうやらキンボートは狂人で同性愛者で詩人のストーカーで、ゼンブラの話もすべて妄想・・・なのですが、この妄想が異様におもしろい。げらげら笑いながら読んでしまいました。

もちろんナボコフなので仕掛けがあって、読んでいくとだんだん幻想と現実のすきまが微妙に表現されていることに気付きます。また、話者は誰なのか?というのも問題で、

0. ナボコフが書いた

はメタレベルで当然として

1. 詩の部分をシェイドが、それ以外をキンボートが書いた(一般的な解釈)
2. すべてキンボートが書いた(詩人の存在もキンボートの妄想である)

などが考えられます。読んでいるときは2.も考えたのですが、ちと妄想が強力すぎる気もする。1.5として、詩の一部にもキンボートの手が加えられている、も考えたのですが、私、英詩の一般形式がわからないので、この長編詩自体にパロディの要素があるのかわかりまへん。残念。結局自分的にはやはり1.かなと。

3. すべて詩人シェイドが書いた

これは文庫の解説にあって、なるほどーと思ったのですが、考えてみるとこれを冷静な芸術家の作品としてみると0.の立場とまったく変わらない(すなわちシェイド=ナボコフ)ことになっちまうので、この解釈は意味がないような気がしています。それならば2.の狂人がすべてを妄想でくみ上げたとするほうがおもしろいっす。

現代文学の豊かさに比べてどうしても現代音楽のことを考えてしまう。この本などはそうとう実験的なことをしながら、おもしろい。小説の目標が結局「最後まで読ませること」にあるとするなら、これは妄想(ストーリー)のおもしろさ、形式のおもしろさ、謎解きのおもしろさ、メタレベルの解釈のおもしろさ、細部のジョーク的なおもしろさがあって、読者のレベルによってその味わえる量が変わっても、おもしろいように作られています。が、現代音楽はちと悲しかったね。あと細部へのこだわりとかジョークとか色の遊びなど。

どこかのサイトで、訳が下手すぎるという意見がありましたが、ナボコフはもともと文章がちょっとひねくれているんですよね。それにこの小説の場合は、もって回って何言ってるかわからなくなる程度のほうがキンボートが書いているらしくてよいのでは。

最後に若島正氏の書評の、「索引は原文のアルファベット順にすべきだ。なぜなら最後にZ、ゼンブラ 遠い北国で終わるしかない」という意見はものすごく納得です。これですべての世界がボルヘスのようにこの一言にうまく集約される気がして、最後の余韻が違います。

ちくま文庫で1,400円ですが、高いとは思いません。私、本は内容で考えるので。もっとも3,000円以上だと財政上考えますけど。復刊されること自体に感謝です。

コメント

つうわけで、なくならないうちにナボコフの「透明な対象」「ディフェンス」「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」を買ってきました。つんどくつんどく。

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