●ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
ホルヘ・ルイス ボルヘス (Jorge Luis Borges), アドルフォ ビオイ=カサーレス (Adolfo Bioy Casares)による「ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件」を読んだ。最初は語り口も含めて楽しく読んでいたのだが、最後のほうは飽きたっす。
ドン・イシドロ・パロディは元理髪店の店主で、無実の罪で20年間刑務所にいるのだが実は名探偵という安楽椅子型の探偵で、物語自体のつながりはないけど、一応登場人物がつながっていたりします。
・世界を支える十二宮
・ゴリアドキンの夜
・雄牛の王
・サンジャコモの計画
・タデオ・リマルドの犠牲
・タイ・アンの長期にわたる探索
で、依頼人がパロディの独房を尋ねて、毎回事件を説明することになります。もちろんすなわちその説明が読者である我々への事件の説明にもなるのですが。ボルヘスもビオイ=カサーレスもほんの手遊びで書いているような気分なのですが、さすがにちょっとやりすぎかなと。最初は大時代的でもってまわった語り口を楽しんでいたけど、6回も続くといけません、後半は面倒なだけになってしまいました。特に後半の「サンジャコモの計画」「タデオ・リマルドの犠牲」は、その背景や着想が味わい深いだけに、推理小説の形で書くべきではなかったのではないか、とさえ考えてしまいます。まあ主人公のパロディという名前からもわかるように、遊びなんだから、というのはありますけどね。
短編の推理小説では主に、魅力的な謎の提示と切れる解決(あるいは落とし方)が必要であって、綿密な推理はどちらかというと主体になり得ない。これは、綿密な推理のための事件の規模や解決説明のためのサイズから、短編にはほとんど入れようがないのである。その意味では、謎が魅力的ではない(大げさな説明をよんでいるうちに疲れちゃうのと、事件の核心の情景がイメージとして入ってこない)のである。謎の核心がイメージできないまま解決になっちゃうので、わかるんだけど、それでおもしろいかというと。。。まあモノによってはネタがメタ推理的な話なので、わざと拡散させているというのはあるんでしょうね。
しっかし、このオビの説明は推理小説としては「大反則」であろう。読んではいけません。そういえば創元推理文庫のクイーンの「ニッポン樫鳥の謎」の背表紙の説明なんかもあっただな。。。