●編集室の床に落ちた顔
前回の「ハムレット復讐せよ」がおもしろかったので、続いて国書刊行会の世界探偵小説全集から。キャメロン・マケイブの「編集室の床に落ちた顔」を読んだ。「ハムレット復讐せよ」が正統的な推理小説の極みだとすると「編集室の床に落ちた顔」は変格的な推理小説の極みとも言える。だいたい同じころに出ているのがおもしろいし、当時の推理小説層の厚みを感じさせる。で、おもしろかったかと言えばすんごくおもしろかったんだけど、人に推薦するかといえば、うーん、できない。あまりに好みを選びそうなのである。しかし22歳で書いたのかよ。。。
「編集室の床に落ちた顔」とは、映画で登場人物をカットしてしまうときにそのカットされたフィルムが床に散乱するところからきているんだろうけど、それがトリックと筋にうまく絡んでいておもしろい。もちろんそのあたりは想像できちゃうんだけど、それが傷とは思わない。22歳でこの変格のはずし方というか推理小説という分野全体に喧嘩を売るような熱い姿勢は、竹本健治の「匣の中の失楽」を思い出しちまった。途中の文章もシニカルかつ短い感じがどうもハードボイルドのパロディのようだけど、はまると妙に楽しい。が、はまれないとなんだこりゃ、なんだろうなあ。つうか、登場人物全員が「自分が小説の中の登場人物である」ことを意識してやってるんだってことを遊べないと、なかなか楽しめないんだろうなあ。
また映画のシーンも含めて、状況が妙に視覚的(禁断のトリックもそうだ)で、構成としてはコロンボを思い出してしまった。なんかフィルムのシーンなんかそのままありそうだぞ。最後のほうで崩壊しちゃうスミス刑事もやり方がいやらしくてコロンボっぽいつうかピンチョンの「ヴァインランド」の捜査官(だったか刑事だったか)みたいな感じでもある。つうか全部マケイブの後なわけで、やはりけっこうすごいのかなあと思ったり。まあ私はげらげら笑いながら読んでましたけど。
以下やはりふれちゃうんだと思うぞ。読もうかなと少しでも思っている人はやめたほうがよい。
で、自己崩壊的な最後と、とってもアンバランスなエピローグが突き放しながらも熱さを感じて楽しい。で、実はその後の解説がよりいっそう重要で楽しい。本文内の自己解決ではやはり納得はいかないわけで、解説の考えにはけっこう納得したり。つうかマケイブが本文を書く理由自体がやはりそういうことなんだろうなあと納得させる。解決なんかどうでもよいといっておきながら、実はより本当らしい解決が裏に隠れていて「出さない」というのは最高の変格かもしれぬ。ミューラーが撃ち殺す前にマリアが自暴自棄になっていたあたりがよりいっそう趣があってよいね。またミューラー自身最後に物知りのように書きながらマケイブ本人が出てきてぼろぼろになったり、最後やけになってみたりで、著者の登場人物のもてあそび方が楽しすぎる。
これから見ると、清涼院流水なんて数十年後にまるで自分が発見したかのように書いていてもちょっとなあ、という感じで、やるならこれくらいやってくれーと思う。「変格」ですむか「とんでも本」になるかはやはり著者のバランス感覚なのかなあ。でも読むほうの感覚とも関連するので簡単にはいえないんだけど、マケイブは個人的におもしろかったので「あり」である(清涼院流水は「なし」ね)。