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June 21, 2006

●ロリータ

book-Navkov-05.jpg最近文学っぽいのは読んでないなー、つうか移動でどたばたしているのと、時間がかかるものを選んでいるからだろうか?まあだらだらと1ヶ月に1冊読むとすると半期で6冊だし、仕方ないね。特にナボコフは、やはり時間がかかるのであった。「ロリータ」は文庫本でも持っていて今回出た若島正氏の訳と比較しながら読むかあ、とも思ったけどそんな根性もなく、若島訳のみとなりました。ほほほ。

で、やはりナボコフはナボコフ、というか若島訳はナボコフ度が高く、言葉に埋もれる2ヶ月であった。「ロリータ」というとなんだかちょっとエッチっぽいお話と思う人もいるでしょうが、うんにゃ「ロリータ」は遺伝子の塩基成分がアデニン(A) , チミン(T),グアニン(G) ,シトシン(C)の4種類ではなくアルファベットの26種類(+実は感嘆符他)でできているんですよー。また、以前だとくらくらと気を失いそうな今回の若島訳なんだけど、実は結構楽しくついていくことができて、おもしろかった。そういう訳なので星5つだよ。でも一般の人には推薦はできん。いわゆるナボコフ的要素満タンなので、代表作と呼ぶのはそんなにおかしな話ではないと思う。

ナボコフは悪筆で、とか訳が読みにくいとかいう書評もあるわけだが、ゴチック建築の教会やバロック様式の城をみて、装飾が生活には必要ないとか意味がないというみたいなもんだろう。別に筋書きが小説のすべてではなく、人物造詣だけでもなく、少なくともナボコフの小説は過剰な装飾と遊びと陰謀と一人遊びに満ちているわけで、その寄り道がおもしろいんだから、というかそこに価値があったりするので、もし読みにくいというのであれば、粗筋本でも読んで読んだ気になってれば良いかと思う。はいて捨てるほど作家という人々はいるわけで、何も自分に無理なものを読んでも仕方なかろうということで。

もうハンバート・ハンバートがおもしろすぎる。今回のハンバートさんもどこまで真実を語っているのかまったくわからず、見栄っ張りさんなので本当はなんにもしていなくても「やっちゃった」ように書いている可能性あり。つうかもうほとんど妄想じゃないのかよ、と突っ込みたくなるような面白さです。実際、修正派によると最後の手紙以降は妄想ではないかという説があるし、私もけっこうそういうのは好きなので良いのだが、でもそれでいくとどこからが妄想なのかは判断つかんなー、というところです。第二部全部というのもありなんだろうなあ。。。

でもそれはおいてもハンバート*2さんのおちゃめな自意識たっぷりの書きっぷりがすごい。読者に読まれている私、を意識する私、を考えている読者をちゃかす私、といった、いったいどこまで続くねん、という意識構造が笑えます。でもそれについていけるのは、筋やロリータのことに意味を感じる以上に、「小説」に淫する人だけでしょうけど。そういう意味で、こういう本来のナボコフ型の文章で訳されたのはおもしろいなあ。つうか何年か前だと脳死していたけど、今回はいくつかナボコフ読書の経験もつんでいるし、ちょこちょこナボコフの短編も読んだりしているので、この持って回った比喩がおもしろくてしかたなかった、がそういう部分は我ながらきっと病が相当進んでいるような気がする(ほら、H.Hクンが天使の羽根をつけて手招きしてるよ)。

そういう意味では「言葉」というところから「ロリータ」は「セバスチャン・ナイトの生涯」や「ディフェンス」よりも私的ナボコフ度が高い気がする。「透明な対象」は言葉、というよりも書いたとおりキュビズム的な視点の意味でナボコフ度が高いと思うけど。本当に100回読み返したい気もするが、1年に1回読んでも100年は生きられないのでちょっと無理。無人島に持っていく一冊、としても他にアメリカのガイドブックや他の引用される作家の本やポーの「アナベル・リー」などもって行きたくなるに決まっているので一冊にはなりません、残念。

翻訳で顎十郎がでてきたのは腹を抱えて笑ったけど、どうもちょんまげ頭が眼に浮かんで困った。わからなかった人は久生十蘭の「顎十郎捕物帖」を読みましょう。おもしろいよ。「紫の上」も笑ったけど、ほんとうに ultraviolet なのね。うひょ。

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