●透明な対象
ウラジミール・ナボコフ(Vladimir Vladimirovich Nabokov, 1899-1977)の「透明な対象」読了。年末に「青白い炎」を読んだので、勢いにまかせてという感じ。
「透明な対象」はナボコフの晩年の作品で、中篇といっても良い長さですが、ナボコフ度は異様に濃いです。なるほど、これがナボコフかーってかんじ。堪能いたしました。ナボコフのこの作品は、絵画でのキュビズムのようで、ピカソの絵のように多視点、多光源で、しかもズームアップ自在、それでいて不思議と全体がまとまっています。なるほど小説とはこう書くものかと関心しました。もちろん主人公、粗筋はあるのですが、言葉遊びのレベルから、時間軸の自在な構成、話者の問題、そして全体として小説の書き方講座のようなレベルまで、4次元以上の非ユークリッド空間のような小説です。また、ナボコフの好きなチェスプロブレムのフェアリーのような、しかもそのルールは読者が探すところ始まる知的なゲームでもあります。もっとも、相当丁寧に導くように書かれているので、いくつかのルールは徐々にわかってくるので、その後読む毎にニヤリとするわけです(多分そうしてはまっていくのでしょう)。
この小説の面白いところは、主人公や粗筋はあるけど、実は小説に登場する「透明な対象」が主役であるということです。一般の小説では各場面にいろいろな事物が登場しますが、それは作者によって「神」の視点から取捨選択され、読者をひとつの道筋に導くように記述されるのです。しかし、ここではあえて各「透明な対象」が自在な光源で語る上で、主人公と筋が進むことになります。そして、最後には主人公自身も小説の中のひとつの「透明な対象」になって終わるという、奇跡的な着地を実現します。これは小説に登場する事物・人の世界線が小説の中に現れては消えていく「裏」までも提示していて、それはすなわち小説の「裏」までも見せることになるわけです。ただ、それが頭でっかちな(十二音音楽のような)ものであれば全然面白くないのですが、技巧が芸術に昇華するこの作品では、それが頭ではなく感覚でわかるようになるとめちゃくちゃに面白い。最後のパーソンが透明になっていくあたりの記述は、読んでいて楽しくて一語一語慈しんじゃうってかんじです。
もちろんナボコフですからその他にも多次元に楽しむことができて、たとえば話者が誰か?という大きな問題もあります。。。が、これはネタばれの意味もあるのでコラムを変えて書いてみましょう。