●ポリーニの演奏会
5月3日に横浜みなとみらいホールのマウリッツィオ・ポリーニのピアノ演奏会に行きました。連休中日のヨコハマはすごい。クイーンズスクエアあたり喫茶店に入ることもできず、うんざりでごあす。まあ私自身もこんな時期にヨコハマにでたりしてうんざりされている一人ではありますが。私はあまりピアノソロは聴かないのですが、ポリーニの演奏は良いですね。感情注入とばかりにテンポを変えるのは余り好きではないので、すっきりと質実剛健な演奏で気に入りました。
曲目はシェーンベルクの「ピアノのための6つの小品」「ピアノのための3つの小品」、ベートーヴェンの「ピアノソナタ7番」「ピアノソナタ8番悲愴」、シューマンの「幻想曲」です。どれも演奏はすばらしいという前提の上で。。。
シェーンベルクのピアノ曲は確かCDで持っていたのですが、誰かにあげたか部屋に埋もれているかです。まあ極微主義といってもウェーベルンのほうが無機質でおもしろいし、3~5音程度の主題が展開されていくのも耳で追えばああそうかなと思うのですが、だから音楽的に何か感動するかというと、それほどでもね。推理小説で、読者にとってどうでも良いトリックが緻密なだけで、出てくる人物にも筋にも面白みがないみたいな、そういえば最近の「新本格」とあてはめると良いのかもしれない。文学に比べると音楽はより時間の芸術で、演奏会では聴く人は小説のように前に戻って読み返すようなことはできないのだから、主題の魅力やベートーヴェンがくどいほど主題やテーマを念を押しているのは意味のあることなのだと思う。慣れてくるとベートーヴェンの念の押し方も、わかったわかったという気になれるのだが、さてシェーンベルクのように即座に自在に展開されても、耳で解読するのは困難・・・というか、私推理音楽聴いているんだっけか?という気分になります。こういうのはやはりスコアを見て、自分で弾かないと面白くはないんだろうと思う。しかしシェーンベルク以降ゲンダイ音楽は聴衆のレベルは考えてくれないんだよね。かといって旋律と甘ったるい和声だけでもうんざりしてしまうので、自分自身なかなか我侭な聴き手ではある。
それに比較するとベートーヴェンの2曲はとても充実した念のいった音楽なんですが、最近の私の感覚からすると「うるさい」。いや、単にAllegroでffだからというのではなく、ピアニスティックな表現がムダに多くて、音楽の本質から言うといらないのにーという感じです。でベートーヴェンだからそうなのかと言うとそうでもなく、帰り道に聴きなおした後期ソナタの31番や32番(30番も入れても良い)は、全くそんな風に感じませんでした。もちろんピアノに寄った表現はあるんだけど、すべてがあるべくしてこれしかないという感覚があります。つうかやはりベートーヴェンでは後期ソナタがあればよくて、初期や中期は私にとって別にいらないな。私の素質が徹底的にピアノ的ではないのだろうと思ふ。
シューマンの「幻想曲」はピアノで考えピアノで語った音楽なのだと思う。これはもうピアノとは切り離せないし、なんだかんだいうことはない。いい加減な聴き方なのでベートーヴェンの引用などもよくわからないんだけど。。。シューマンとショパンが前期ロマン派のピアノの代表みたいになるのですが、私はショパンには断然No!であって、あんなに無駄に甘ったるい音楽はないと思っているし、この世からショパンの音楽が消えてもらっても全く問題は無いのだが、その一方シューマンにはめろめろに弱いのです。この前も1,000円!でジンマンのシューマン交響曲全集(2枚組新譜だよね?)を買ってしまったし。
場所的に3階の左側最前列(1列しかないけど)で下を覗かねばならず、高所恐怖症の私としては始まる前から最後まで固まっていて、音楽に集中できなかったことはあるかも。