●愛その他の悪霊について
世の中では世界の中心でさけぶのが流行のようであるが、うるさいのであんまり近くで叫んでほしくないと思っている。せめて世界の片隅でならわかるんだけど。。。いや、「自己愛をさけぶ」かな。まあ、もともと盗作的なタイトルではあるのだが。で、どうせなら、もう少し私向きな「愛について」の本を読んでみました。これはどちらかというと「世界のあちらこちらで、愛についてのたうちまわる」という本であります。「愛は成就されず、成就されるのは愛でないものばかり。」というオビの文句のほうがかっこよい。
G・ガルシア=マルケスの「愛その他の悪霊について」を読んだ。200ページ弱の中篇であるが、内容はとてつもなく濃い。しかも十年近く私の本棚で積まれていただけに、ほどよく醗酵していて芳醇である。物語は狂犬病の犬にかまれた少女シエルバ・マリアは狂犬病なのかという発端から、物語は少女の周囲の人間の愛と宗教と孤独さと浮き彫りにしていくのです。そして、愛も宗教も慈悲もドストエフスキーの悪霊とはまた反対の意味で悪霊であるということを心に残してくれます。出てくる人間誰も彼もが何かが足りず、しかも孤独で何も分かりあっていないという悲しさがひしひしと伝わる佳作だと思いました。書き方は相変わらずひねくれているし、汚いものも出てくるんだけど、それでいて小説としては宝石のようにまとまっています。マジックリアリズム好きにもたまらん世界になっています。
どこかのサイトに「現代コロンビアの」というのは論外として(植民地時代の話です)、宗教の不寛容と政治あるいは宗教の圧力の恐ろしさみたいな読み方がありましたが、ここでは宗教の無理解が主題というよりは、やはり宗教も含めて、自己中心的な愛という悪霊のもたらす姿なのだ、宗教もその結果としての悪霊なのだと思いたい。そして愛も含めた悪霊の姿は同じものはないのであって、たとえ恋人同士が愛しあっていても、そこには2つの愛の姿がある以上、2つの悪霊の争う姿に等しいのであろう。
ガルシア=マルケスはノーベル文学賞作家で、「百年の孤独」や「族長の秋」「予告された殺人の記録」が有名です。というか私これらしか読んでいない(他に短編集はいくつか読んでいるのですが)ので、十年以上読んでいませんでした。が、マルケスの文章はすばらしい。一文一文が世界をなすし、そのゆがみ方やひねくれ方がとても好みである。ああマルケスの世界に帰ってきたのだなあ、という豊かさがある。
新潮現代の文学は、翻訳してくれるのはうれしいのだが、傑作に絶版が多すぎる。売れないのはあっても再販維持法を適用して文化的な活動を行っているのであるから、文庫に入れるなどしていただきたいと思う。そして、夏休みにふにゃふにゃしたエッセイの読書感想なんかいらないから、このような本を読んで徹底的に考えてみることを教えてくれ。愛は悪霊ではないのか?