●キマイラの新しい城
この木金は夏期休暇として寝てすごすのです。殊能将之の「キマイラの新しい城」を読んだ。おいおい大丈夫カーという設定でしたが、思ったより楽しめました。しかし、楽しめる人はどんどん減っていくんじゃないかと他人事ながら心配。「美濃牛」読んでいないと石動戯作はただのアホですし、「黒い仏」読んでいないとアントニオさんのことがわかんないし、「鏡の中は日曜日」を読んでいないとアノ人のことは訳わかんないだろうし。。。「樒・榁」は読まないほうが。。。
中世の亡霊が乗り移って、その視点での話。。。なんて、最初はどうなんるんじゃろと思っていましたが、十字軍の話など、けっこうおもしろかったです。ただ現在の表現は途中からちと飽きてきた。だいたい話の思いつきはイラク戦争はゲンダイの十字軍ではなかろうか?あたりから始まっているのだと思うけど、まずまずではなかろうか。でもオレ、ムアコックとか読んでないからだめだめだな。
思えば推理小説という形態は読書を進ませるためのエンジンであって、ファンはエンジンの構造がどうの馬力がどうのと楽しめることもあるだろうけど、最近の車(小説)はやはりエンジンよりも居住性や用途に応じた個性じゃなかろうか?したがって謎と謎を解くプロセスはあっても、それ以外の薀蓄や設定を読むとかキャラクターを楽しむとかでないと、最近は生き残れないんでしょうなあ。時にこのような推理小説の構造への問題意識みたいなものを読むと、エンジンに華麗なレリーフが施されているようで、誰も見やせんと思ったりします。
ここでも密室が出てきて、密室は推理小説の永遠のジャンルではありますが、そろそろみんな使わないほうが良いんじゃないかな。確かに謎が安易に明確に提示しやすいし、回答プロセスだけでなんか謎解きになったような誤解しそうだし。麻耶雄高や殊能将之はその点わかっていて、そのレベルの謎は意図的に自分でつぶしているところはありますけど。森博嗣って今でも密室してるのでしょうか?最初の三冊であきらめましたが、その後「黒猫の三角」をマンガで読んだらおもしろかった。マンガの原作に良いのかと発見。
さて、石動戯作は完全にもうだめおやじになってますね。密室談義も精密なわけでもないし。つうか私としてはゲンダイのシェリンガムとして活躍して事件をめちゃくちゃにしていただければ、今後も読みつづけます!二人のマイクルはムアコックとクライトンじゃなかろうか?タイム・ラインののりでね。マイクル・イネスは重厚なのでジャンルが違う気がする。