« 「あなたの人生の物語」続き | メイン | Cembalo Revolution »

October 07, 2004

●フリアとシナリオライター

book-Vargas-Llosa -01.jpg

マリオ・バルガス=リョサの「フリアとシナリオライター」は翻訳を十数年待ちつづけてやっと出版されたのだが、やっと読んだ。そんなに待ったら早く読めよというところである。私はリョサをたくさん読んでいるわけではないのだが、リョサの小説は本当に好きだ。まじめに書かれているのも好きだし、これらの小説を読んでの感動が、本当に文学の本質的なものだと思えるからである。

フリアとシナリオライター」は、魅力的な年上のばついちフリア伯母さん(義理のおばさんね)と「僕」の恋愛と、天才シナリオライターのシナリオとそれが混乱していくのをからめた、胸キュンコメディ小説である。それでいて現代文学の先端でありながら、めちゃくちゃにおもしろい。オンガクの方から見ると、ため息がでるほどうらやましい。

フリア伯母さんと「僕」の恋のどたばたが上位層だとすると、中間には僕の友人のハビエルや放送局の人々との関係みたいにリマの50年代の青春があって、下位層にはカマーチョの悶絶モノのシナリオがあります。

フリア伯母さんと「僕」の話はけっこう現実の設定に沿ったもののようですが、これもうまく書かれているので、知らず知らずのうちにノンフィクションのように入り込んじゃいます。うますぎる。
一方、天才シナリオライターとして書かれているペドロ・カマーチョ(書かれた当時のリョサを多く反映していると思うが)が書くシナリオがまたおもしろい。最後のほうでは本人が狂い始めて複数のシナリオは混乱し始めるし、みんな死んじゃうし、やりすぎ。もう傷だらけの黒人が満を持してサッカー場に乱入してきて、いつの間にか闘牛になってるあたりは、たまらんっです。これだけでも100%おもしろいんだけど、リョサの他の作品を知ってるとおまけで楽しめます。

「緑の家」「誰がパロミノ・モレーノを殺したのか」で登場のリトゥーマ軍曹は各シナリオの中で女性にまでなってのご活躍ですし、娼婦の親玉になって機能的に黙々と進める話なんか「パンタレオン大尉と女たち」そのままだし、だいたい登場人物や複数のストーリーがからんでいく方法自体「緑の家」の手法をパロディ化しているといえるでしょう。きっとその他の作品からもいっぱい入っているんだろうなあと思うと、私3冊しか読んでいないのが残念でございます。

また、ゴシックミステリが元ネタかなとか、ジョン=フォードの「哀れ彼女は娼婦」そのものじゃん、とか、ロリータのパロディとか。なんかこんな物語物語しているものも書きたい、書いてやるという感じかな。

これからもわかるように、ペドロ=カマーチョ自身が書かれた時点でのリョサ自身のセルフパロディですね。いやにまじめだし芸術至上主義だし。しかも50歳の男盛りへの変な執着も笑えるです。昔の僕と今のリョサの対比があるんだろうなあと思う。

最後の章は十数年後の、現在の視点からになりますが、ここがまた泣けます。昔の仲間がまた泣かせるけど、フリア伯母さんのことがさらりと書かれているのが、奥が深い。つらいことやいろいろなことがあったとしても、「昔は良かったなあ」というのが一番の背景なんだろう。本当にいろいろに楽しめる小説なんだけど、18前後の頃の青春の思い出の甘酸っぱさがやはり楽しい。

「緑の家」なんかは文学の豪速球160kmだと思うんですが、こちらはリョサが変化球だってプロだというのを改めて感じさせます。でも生真面目だから、マルケスみたいに消える魔球は投げないけどね。前文にあるように、「私は書く、書くときに、書けば,書いて」ならば、私たちは「読んで読んで読まれて読んで、読んだらそれでも読んでやる」って感じでむさぼり読むのが良いんじゃなかろうか。

コメントする