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October 10, 2004

●生首に聞いてみろ

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法月綸太郎の「生首に聞いてみろ」を読んだ。各副題がキング・クリムゾンということで、聴きなおしてから心して読んだのであるが、まずまず面白いといったところ。最初は退屈だったが、途中から面白くはなった。面白くはなったが、しかし・・・というのはあるのです。私の思う本格ものの本質的なところで、引っかかる部分があるんですわ。法月のものは中篇では最高だと思うのだが、長編ではしっくりいかないのもそのあたりかと。ところで久保寺容子ってなんだっけ?すでに記憶なし。

以下ネタバレっぽいのを含みます。(このBlogの読者が減りますなあ)

ストーリーも設定も良いのですが、細かいところで登場人物の心理的な行動に納得いかない部分が多いのがもったいないと思う。いや、なるべくできる限り無視して読んではいるんですが。だいたい、殺人も起こってない初対面の段階でレイカが綸太郎にあんなに話すのはおかしいだろ?とかさ。本質でないし設定を説明したいのはわかるんだけど、心理的には全然納得いかないので萌えられない(この萌えは本格萌え)のである。これは川島弟の説明も同じ。もう少し綸太郎に内幕を話してもよいような事件や出会いやなにか起さないとあかんと思われ。こういうところが、推理小説の骨格は良くても肉付けが弱いと思われるところなんです。しかも後半レイカでないし。もうひとつ、綸太郎が容疑者というか関係者にぺらぺら漏らしすぎ。探偵としてはまずいだろう。容疑者といっても良い参考人に「○○○ほどの荷物を・・・」なんて尋ねるか?いくら作り話のフレームで楽しもうと思っても一挙に興醒めでございます。

また、過去の事件が鍵では有るが、さすがにちょっとずさんだと思う。これは不倫に関する川島伊作との会話がそんなうまくいくはずないじゃん、という突込みを入れたくなる。というか読んでいる時に一旦考えたけど、まさかこれでうまくいくというお話じゃないよね、と捨ててました。

ストーリー的には犯行がおこるまでちょっと掛かりすぎ。まあトリックとの関係もあるんですが、上のまずさも含めて、殺人の直前あたりから綸太郎が絡んでもよかったんじゃないだろうか?最初は川島弟の行動にしておいて。中盤からの切り替え方はさすがだと思ったが、彫刻の○にこだわるだけに、だいたい途中ではわかったと思う。もちろん偶然的な細部までではないんだけど。難しいのは、描く本質がエピソードにあるのだが、うまく効果的にならないところですかね。悩んで書いてるとは思うのですが、中篇だとこのあたりのしがらみなく、事件がほとんど目に見えて始まったところから書かれるので、実はその方が良いのではないかと思うのだ。

「私の思う本格ものの本質的なところで、」で、この本に限らずなんですが、やはり本格ものの犯人というものは偶然に頼らずに、冷酷悪魔的な計画を立てて(ずさんなのは嫌だ)、それを飄々としかも自在に実行してもらいたいんだけど、最近は犯人のココロザシが低い。本格ものの犯人であるという自負がない。その犯罪を探偵はゲームのように解体していかなければならない。そうでなければ本格ではないのだ。したがって私は破綻があろうとトリックが簡単であろうと、過去の本格ものが好きなのであります。

コメント

そうそう、途中アガサ・クリスティーのあれに似ていて困惑。その後も似ていて困惑。

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