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October 13, 2004

●遠い女

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国書刊行会の文学の冒険シリーズで出版されている「遠い女」を読んだ。これはラテンアメリカの短篇のアンソロジーになっているのだが、特に幻想的なものが多いようである。これは良いです。Good!

特にコルタサルの初期の短編集「動物寓意譚」はまとめて翻訳されていないのでばらばらに読むしかないのだが、ここに5編入っている。これに岩波文庫の「占拠された屋敷」「パリにいる若い女性に宛てた手紙」を入れれば、結構なもんではなかろうか?

夕食会(アルフォンソ・レイエス)

シュールリアリズム的でもあり、フロイト的でもあり、またゴシックホラーのようでもあり、なんとも素敵な作品である。「ドグラ・マグラ」を15ページにまとめたような怪しさ、だがここでは静謐な怪しさをたたえている。本のタイトルはコルタサルの「遠い女」だが、ジャケットのデルヴォーは「夕食会」のイメージで、かな。こんなのが1920年に出ているのはよいなあ。レイエスの「斜面」の他の作品も読みたいなあ。

「流砂」より(オクタビオ・パス)

散文詩から、ということだが、掌編小説のようである。オクタビオ・パスでは「波と暮らして」を読んだことがあるが、より短くて象徴的である。寓話のようにも思えるが、なんだかよくわからんところがおもしろい。「天使の首」が特に好きだが、そうだよなあ、女の子の次の首も見つかるといいなあ、と読後思ってしまったりしていること自体が、パスの掌の上で遊ばされているんだろう。「流砂」ってこんな話がえんえんと続くのだろうか?

チャック・モール(カルロス・フエンテス)

どこの国の神様も怖いね。これはフエンテスの短編集でも読んでいたので流し読み。チャック・モールは水の神なんだっけ?日本も台風が多いので、どこかで風神が生き返ったのかもしれない。

分身(フリオ・ラモン・リベイロ)

ワン・アイデアなのだが、どうも表現が好きではない。もう少しコルタサルのように面白くなりそうな気がする。ひねりがないような気が。。。

遠い女(フリオ・コルタサル)

コルタサル初期の代表的な構成のような気がする。一瞬の感覚の元に入れ替わる驚きがある。もし後期にこのネタで書くとしたら、そのまま日記の形式になるのではなかろうか?それはそれで美しい気がするが、このように一体となる一瞬の美しさも失われる気もするし。。。振り向かずにさっていくところが深くて渋いね。

乗合バス(フリオ・コルタサル)

もうこの怪しさがたまりません。なんだったんだろう。ピンチョンの「競売ナンバー」の終わりのような怪しさがある。世の中の裏には知らない怪しい世界が広がっているようである。きっと世界は悪意に満ちているんだろうなあ。。。こういうのが悪意なんだよなあ。

一般的な短編だとこの二人を事故死でもさせて、その後バスに花を抱えて乗ってくるとでもしたいところだが、それをしないところが良いなあ。

偏頭痛(フリオ・コルタサル)

マンクスピアも病気も最初は実在かと思っていたのだが、どうもそうではないと気づいたのは少し読み進めてから。一人の男の偏頭痛の妄想とみることもできるんだけど、やはりマンクスピアが本当にいて、いろいろな病気に本当に悩んでいると思って、げらげら笑いながら読んだ方が面白い。

キルケ(フリオ・コルタサル)

ギリシャ神話の基本知識がないのでちょっと困る。キルケは歌声と美しさで男性を虜にしたが、そういった男性たちに飽きると、狼、ライオン、豚などの姿に変え、ペットとして飼ったとか。女はこわーい。最後にそれの中に何が入っているのかが楽しみだったけど、ちょっとありふれていて拍子抜けした。が、このくらいが良いのかもしれない。もっとヘンなものを想像してました。小説としては少し退屈かも。なんか見落としているかな。

天国の門(フリオ・コルタサル)

渋くてすてき。セリーナが現れる最後が絶望的ですばらしい。もちろん希望による似た人の見間違えという解釈もあるのだが、やはりどこかで天国の門が開いたのだろうか?セリーヌを望む二人と異世界(セリーヌの望んでいた世界)が接する部分に美しさがあるのだな。

未来の王について(アドルフォ・ビオイ=カサーレス)

ビオイ=カサーレスの1人称なんて初手から怪しい。怪しくてわくわくする。だいたい勉強のレベルも嘘のようだし、エレーナは最初からマルコスが好きなようだし、何時の間にか部屋を借りていることになっているし、ルイサの年齢や関係も曖昧。なんじゃこりゃー。だいたい最初のアザラシからすべてが妄想なんだろうか。それとも眠りから目覚めてからが怪しいのだろうか?

でもアザラシが未来の王でそれに仕えるのも悪くはないかもしれない。潜って魚とってコイといわれても無理ですが。しかも「もう一人くるまで待ちなさい」ってアザラシ優しすぎ。「わたし」はちょっと孤独すぎるぞ(と優しくつぶやいてみる)。

航海者たち(マヌエル・ムヒカ=ライネス)

Boschの「愚者の舟」を思い出した。もう面白すぎる。いやあ本ばかり読んで妄想膨らましていてはいかんのう、とわかった。もう狂人たちと船出してからが面白すぎる。毛むくじゃらの女王は素敵だし、狂人たちのほうがすなおにコミュニケーションがとれるあたりが皮肉が利いていて笑えますよ。で、頭が良くなって子供になって戻ったら結局狂人扱いされるという、人間って自分のレベルでしか判断できないんだよねえ。

文明というものもその民度にあったもんじゃないと悲惨なんだよなあ。日本なんか民主主義っていっても、封建主義風にどんどんなっていくし。。。ということは江戸時代より精神的には進歩はしていないんだ。

コメント

キルケはオデュッセイアのキルケなんだよね。でもオデュッセイアのキルケって、人を豚に変えたりするんだけど、やさしい魔女のように思えてしまいまする。

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