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November 21, 2004

●ジュスティーヌ

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なんだか全然頭に入らない状態なんですけど、ローレンス・ダレルの「ジュスティーヌ」を読んだ。アレキサンドリア四重奏の1巻目です。アレキサンドリアのイメージがわかないし、文章の表現は頭からどんどん落ちていくし、愛についてもよくわからんので困ったのだが、最後の方になって、いろいろとつながってきました。

「ジュスティーヌ」にはまってしまった「ぼく」の記述なんだが、どうも不安定で怪しすぎる。ほんと?ほんと?と思っているうちに終わってしまった。もっともそういいながら、最後にはジュスティーヌやネシムに思いを馳せ、メリッサ可哀想やノウと思い、クレアとはどうなるんじゃろと思ってしまうわけですが。

愛と彼らの頭の中でのいろいろな考えですべてを失っていく(あるいは変わっていく)のはおもしろいが、やはりこういうのは若い頃に読むと熱病のようにはまるんだろうなあと、今頃読んでいる自分にちょっと残念。若い頃に読んでいれば、たぶん自分の大切な小説になったんだろうが、感性が知識によってすり減った私には、そこまではのめり込めない気がする。

どうも2046みたせいか、アレキサンドリアって西欧人から見ると異邦性と文化の混合度がたまらんのかなあ、日本から見る香港みたいなもんじゃろかと思ったりする。そうすると私たちがいくらこの本で感動しても、西欧人が思う「アレキサンドリア」という言葉への響きと憧れはわかったようで心底わかることはないんじゃないか、という気もするのだ。

さて、4部作なので、この後どう展開するのであろうか?いろいろ死んだ人のことよくわからないし、「ぼく」の視点から見た物語は嘘も組み込んでうまくまとまっているような気がするんだけど、どうなっちゃうんでしょう。なんか「ぼく」もだめだめっぽいからなあ。。。

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