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December 29, 2004

●クレア

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ローレンス・ダレルアレキサンドリア四重奏の最後である「クレア」を仕事納めの後、喫茶店をはしごしながら読了。なんとか今年中に、文庫復刊前に終わったね。

第4巻の「クレア」はなんじゃろ?クレアの存在は全体の人々と愛を見つめる視線でありうるのだろうか?と「マウントオリーブ」の感想の最後で書いたんだけど、第4巻は、生者と死者の世界だったね。そういう意味ではクレアはダーリーの相手としての生者の代表として、またパースウォーデンやナルーズ、スコービーといった死者の想い出をひきずってその間に立つ巫女のような役割だったのかなあ。

第4巻では、いままでの時間の後に、ダーリーがまたアレキサンドリアへ戻ってくるところから始まります。戦時下だし、いろいろ人も姿も変わっているアレキサンドリア。甘いのにはうんざりなんだけど、それでも最初のネシムとの再会のところでは、ちょっと泣きそうになったとです。でもその後、ネシムやジュスティーヌの登場が少ないのはびっくりですが、この二人、最後に陰謀の世界にまた踏み込んで生き生きと若返ったりするあたりが面白すぎる。

またダーリー自身が昔から見るとえらく成長した感じで、そうかこれは正当なビルトゥング・ロマンスでもあるのだな、と思った。そういいながら本文では「よう、とんまな兄弟!」と死者のパースウォーデンさんから呼ばれて、残念!ってかんじですけど。

この巻ではクレアがタイトルなんだけど、書いたとおり新しい愛と人生という話ではなくて、死者に操られた生者、生者の中で変容する死者といった意味では、どちらも簡単に分離できないんですね。ナルーズが関係してくるあたりはモダンホラーかと思いました。その中でクレアは中庸というか、その間を取り持つ役目を持っていて、最後に死者に引きずられそうになりながらも、腕を失う(犠牲に捧げる)ことで、自らも再生するといった構成が面白いです。なんか最後のクレアさんのふっ切れ方が大好き。それまでのクレアは完璧なんだけどそれゆえに何故か危なっかしく不安定に思えるんですが、完璧でなくなることで(魔法の腕!)健全になるというところが面白い。

もちろん第4巻でも、またまたでてくるパースウォーデンの死の真相(深層?)、クレアのおびえと事故による再生まで、もうもりだくさんでございます。もっともちょっと途中のパースウォーデンさんの芸術論っぽいのは少々うんざりでしたけど。さすがにロマンチックに過ぎるというか人間・芸術の価値を高く見積もりすぎじゃないんですかねえ。芸術至上主義的なところはナボコフと似ているところもあるんだけど、ナボコフのほうは、例え芸術なんかに絶対的客観的価値なんかまったくないとしても、という領域で戦っているすごさがあると思う。その分ダレルのほうは甘く感じるんですよね。

全巻を通すとやはりちょっと甘口かなあと思ったりもするのだが、やはりその世界の多面性はきらきらと輝いているようでうっとりした。はやく文庫で復刊されるといいなあ。

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