●眠れ―作品集「青い火影」〈1〉
最近ロシアものに傾いている。音楽はステインベルクの交響的前奏曲とかカバレフスキーのピアノ協奏曲とか。読み物ではブルガーコフとかナボコフとか(ロシア時代の短篇ね)。その流れというわけではないのだが、ヴィクトル・ペレーヴィンというロシアのSF作家の短編集「眠れ」を読んだ。これはおもしろかった。
ロシアものは全く詳しくないんだけど、ペレーヴィンはブルガーコフ、ストルガツキーの流れにつながるロシアン・ファンタスティカの継承者ということでよろしいか?始祖のゴーゴリも読んでおかないといけないなあ。。
ペレーヴィンはロシアSF界では有名なんだろうか?知らないのだ。ロシア・ブッカー賞までとっているらしく、SFだけのジャンルでは語れない作家なのだろう。実際読んでみたけど、単にSF的な発想と表現で押し通すのではなく、社会への批評や自己認識への問題意識の重さが上手いバランスで入っているのがありがたい。自分で作風をターボ・リアリズムと読んでいるようだが、キャッチーなフレーズとしてはよいかも。ありえねー部分をリアリズムで書くのはマジックリアリズムと似ているけど、こちらはよりSF的というか、筒井康隆的というか、ありえねー視点で書いたりするところはちょっと違うような気もする。ま、綿密に区分するほどのことでもないと思うけど。もっともただ単にこう書いただけでは単なるSFなわけで、やはり人間や社会への視点自体や哲学的なバックグラウンドがないと、ちょっとおもしろいね、で終わってしまうんだけど、ペレーヴィンの場合はけっこうしっかり書かれているのかなあと。ただ、このバランスと言うヤツは個人の好みで大きく違いそうなので、私は私の好みで言うしかないんだよね。ただ、ソビエト体制への批判みたいな部分は想像でしか感じることができず(官僚主義は日本でも十分ですが)、心底感じることができないいらだちはある。また、どうしても全部批評のように考えてしまうんだけど、ロシアの人が読むとどんなかんじなんだろうか。
「眠れ」は、ペレーヴィンの作品集「青い火影」の前半部分らしい。全体として「視点」(=時には意識)の可能性を追求したような作品集だけど、ペレーヴィンの持ちネタがそれだけなのかどうかは私にはわかっていない。表現も含めて、楽しんだ1冊だったけど、もし他の作品もそんな感じばかりだとそのうち飽きるかもしれない。もっとも私最近特に飽きっぽいので、1冊飽きずに読めたのだから、たいしたものなのかな。残り半分翻訳でるんだろうか???
中では「ゴスプランの王子さま」「ヴェーラ・パーヴロヴナの九番目の夢」が好きだ。「ゴスプランの王子さま」は同じ時代でゲームを知っているので、より楽しめたのだと思う。「ヴェーラ・パーヴロヴナの九番目の夢」は最初何がおもしろかったのかと最後のおちがわからなかったんだけど、解説読んで初めて噛み締めることができた。大抵の場合読んでいてイわからず解説を読んでそうかーと思う場合はそんなに感動しないのだが、今回ばかりは相当噛み締めることができました。解説ありがとう。他には「眠れ」の最後なんかジョナサン・キャロルの作風を思い出したり、「青い火影」はコルタサルを思い出したりした。ちょっとマコーマックの「パタゴニアの・・・」にも似た感じですね。
なんだかんだ書いているけど、結局書いてる文章が長いときは気に入っているんだと思う。興味のある人はぜひ読んでみてください。感想についてお話しましょう。
以下ネタバレ含みまくります。読んでからにしましょう。
倉庫XII番の冒険と生涯
最初何事かと思って読み始めたが、1ページ目でよく考えるとタイトルどおりなのだ。やられた。「カーペンターズゴシック」でカーペンターズゴシック様式の館の見聞きしたことを読んだわけだが、今度は倉庫である・・・ので、初めて読んだ人ほどには驚いてないかもしれない。まあちょっとおもしろいと思う。最後はE.T.の影響を受けてるよな。
世捨て男と六本指
これも途中で視点に気付いて楽しんだのだけどまあ普通かな。もちろんソビエト社会への批判と言うか、惰眠を貪る民衆(ソビエトの民衆なんだろうけど私には日本人に見えて仕方ない)と、飛ぼうとしたものの寓話的な表現がおもしろい。ナットで腕を鍛えるあたりは最高です。
中部ロシアにおける人間狼の問題
狼男って東欧からロシアに土俗的に広がっているんだろうか?手塚治虫を思い出しました。これもありえねーなんだけど、丹念に描写されると、ふむふむとなってしまうから不思議。後半で「存在論」みたいな議論しちゃうのが笑った。狼になってまで、、、人間って救えない生き物ですなあ。
ゴスプランの王子さま
どうも読み始めたときはわからなかったのだけど、途中(10ページほど)でこりゃ「プリンス・オブ・ペルシャ」じゃんと気付く。解説読んでも訳者がどうもわかっていないようで困る。星の王子さまじゃないと思うぞ。東洋趣味というのはゲームがアラビア的な前提だったから当然なので、したがって小説のタイトルは「プリンス・オブ・ゴスプラン」でなければ困るのだ。各レベルのトラップの内容も実際のゲームのを使っているんだろうか?私は覚えてはいない、アクションゲームは苦手なのだ。きっとレベル3と4の間でお姫様がでてくるのもそのとおりなんだと思う。
で、解説や書評サイトとかでゲーム性とロシアの官僚主義の配置についての評論が多くて、それはそれで正しいんだけど、やはりこれはターボ・リアリズム全開で、「プリンス・オブ・ペルシャ」のドット絵とトラップと「えびぞりジャンプ」を思い出しながらげらげら笑わないと本当に読んだことにならんのじゃないだろうかと思ったりする。「プリンス・オブ・ペルシャ」自体は最近新作でPS2などでているけど、あんなきれいな絵をイメージすると、ちょっとこの小説での肌触りと違うんだよなあ。そういう意味では、ペレーヴェンとは同年生まれなので似た距離感でゲームに接していたのかなあという感じ。
どこまでがサーシャの脳内世界と現実が混乱しているのかよくわからんが、あるいは現実がそうだとして、そうしてターボ・リアリズムしていくと、ゲームが現実によってくるのではなく、実際の生活での人々がドット絵のCGのように見えてくるようで面白いのだ。
眠れ
そうか、体制に迎合して、社会に迎合して生きていくということは眠りながら生きることなのだろうか。そういえば最近駅の混雑で前を確認せずに突進してくる人々や、なんにも説明を聞こうとしない相手とすりあわせることのできないのは、みんな寝てるんだな。私もこの文章を書いている夢の中で理解したぞ。最後のオチはジョナサン・キャロルを思い出した。こういうよくある小説風に持っていくのかとちょっと感心。
ネパール通信
これも「眠れ」みたいなもんかな。ソビエトにおいての宗教の扱いや人々の中での実際の位置付けなどがよくわからないので、ちょっとはがゆい。耳にふたして生きていくことが身に迫ってくるね。
ヴェーラ・パーヴロヴナの九番目の夢
最初読んだときは最後の部分の意味が全くわからず、単なるペレストロイカの社会風刺なのかーと思っていたのだが、チェルニシェフスキーの「何をなすべきか」の女主人公で、その後なんですね。それで最後は唯我論の文学は一杯だからプロレタリア文学の「何をなすべきか」に収まって、最後の一文(は多分その小説の引用なんだね)につながるんですね。実際に共産主義、全体主義を経験した上でペレストロイカを体験し、その上でプロレタリア文学の女主人公になるというのはすご皮肉というか重すぎる人生というか、ちょっとうーむとうなってしまいました。
ロシアの人にはすぐわかる出典であっても私には気付きようがなく、解説には感謝しております。「アウラ・純な魂」の「女王人形」みたいに、こういうのに自分で気付くと読んでいて面白いんだけどなー、芸術的な背景はちょっと無理っぽい。残念。
青い火影
少年たちがベッドの中でいろいろな話をするんだけど、風刺あり寓話あり、で死んでいるか生きているかという話は自分の作風自体をトリックにして、読者を迷わせているのがおもしろいね。ちょっとマコーマックの「パタゴニアの・・・」にも似た感じですね。ただ、雰囲気や、何か一転して裏がありそうなところはコルタサルを思い出したりした。
太守張のソ連
胡蝶の夢のような話ですが、世界がくるっとかわるようなところはおもしろい。ソビエト官僚主義は戯画化されていて笑えるんだけど、じゃあ日本は違うのかというと2世議員や2世スポーツ選手みたいに、どんどん世襲化されているわけで、あんまりかわらんなあと思う。
マルドングたち
どうもボルヘスかレムのような感じ。マルドングに関する物語の要約のような書評のような、やはり死についてから離れられないようである。