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February 01, 2005

●悪魔物語・運命の卵

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ロシアというかソ連の文学作品は、トルストイやドストエフスキーを遠い昔に読んだのを別にすると、ストルガツキーしか知らぬ。そのストルガツキーの「滅びの都」を購入したついでにオビ文句がおもしろそうだったので、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」(上・下)も勢いで購入。でも分冊ではちと高価ですぞ。

最初からそちらに挑戦しても良いが、読みやすいところからいきたいなーというのもあって探したところ、岩波文庫から「悪魔物語・運命の卵」という中編集がでているので、そちらを先に読んだ。知らない作家で、SFっぽいとも書かれていたので、はずれだと嫌だなーと思っていたが、全くそんなことはなく私にとっては大当たり、おもしろすぎる。

ブルガーコフはソ連で発禁とかが多かったようで再評価もスターリン死後のようである。「悪魔物語」も「運命の卵」も調子はずれで面白すぎるのだが、やはり底辺には共産主義・全体主義批判がみえるので、そりゃ発禁ですわな、というところでしょうか。SF的な紹介もされているけど、どちらかというと不条理ものとか幻想小説に近い気がする。「運命の卵」ではSF的なアイデアはあるものの、そこに小説の主眼はないので、SF苦手な私でも問題なく楽しめた。

これを読んで、なるほどストルガツキーのルーツのひとつってこんなところにあるのか、と思った次第。ストルガツキーもSFのジャンルでくくられるけど、私が好きなのはSFの部分ではなく、変な不条理さやゆがんだユーモア、なんか変な暗さの中の明るさとかの部分であって、それを凝縮するとブルガーコフのようになっちまうのかもしれん。社会体制への怒りというか絶望というかそういうものが限界を突き抜けると、歪んだ明るさでしか表現できないのかもしれん。解説にはソルジェニーツィンの指摘として

(1)文体の明快さ、自由
(2)ダイナミズム
(3)いたるところに自由に与えられているユーモアの度合い
(4)抑制しがたい幻想、ひしめき合うイメージの豊かさ

と書かれていたけど、いや全くそのとおり。自分が好きなのはこういうことなんだと自己認識もできたのであった。特に「悪魔物語」の後半のイメージの奔出や「運命の卵」の爬虫類がモスクワ目指して進撃するイメージなんかはけっこうありえないけどリアルである。

これでは「巨匠とマルガリータ」もはやく読まんといかんなー。そうそう、1月~3月のNHKラジオのテキストで、「ロシア幻想小説の読み方 NHKカルチャーアワー・文学と風土」という中で、何回かブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を解説しているので、興味のある人は今のうちに入手しておくのが吉だと思う。NHKに金を払うのは気が進まんが、そこはがまんだ。

以下内容にふれますで。

悪魔物語
ちょっと事なかれ的なコロトコフがどんどん堕ちていくのがおもしろすぎる。分身するカリソネルもおもしろいんだけど、全体的に世界がどんどん悪夢のように歪んでいって速度が増していくのがすごいなあ。最後はもろに赤軍に反抗して死んでいくようにもみえるんだけど、自己としてのコロトコフが死んでいって、同士としてのコロトコフが生まれるんだろうか?それがコロブコフみたいな感じなのかな。

共産主義や全体主義をパロディ化しているのはもちろんだけど、途中のお役所など日本でも良くありすぎて、日本で資本主義やマスコミによる全体主義に置き換えても全く違和感がないことに唖然としますね。

運命の卵
生命光線があったら、というSFなんだけどスラップスティックというかどたばたというか、でてくる人間がそれぞれおもしろすぎる。最初のほうのゆっくりとした展開から最後 Presto のような速度感が楽しい。ゆっくり進んでいるときに鶏の大量死がどんな関係あるんだろうと思ってたんだけど、巨大鶏が誕生するわけではなかったのでひねりが効いていると思った。卵の汚れとかなんのこっちゃいなという部分が後からにやりとできるので、うまくできているんだなあと感心。またロックのフルートが手離せなくなったり芸が細かくおもしろい。

ソ連の官僚主義の部分やスパイの暗躍、対爬虫類戦での大本営発表みたいな部分が皮肉っぽくかかれているけど、まあでてくる人間像のほうがより皮肉っぽくて、マスコミも含めて現代社会と全く変わらないので笑っちゃう。発禁になったのは、やはり赤色光線が共産主義を表していて怪獣をつくりだした、みたいな部分なんだろうか。赤色光線爬虫類軍団が赤軍で、モスクワ防衛の軍団が白軍をイメージさせているところがおもしろいといか、お上に触れたんでしょうか。

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