●ディフェンス
夕方秋葉原に出ていたら地震で山手線が止まっていて結構つらかったっす。コンビネーション攻撃を仕掛けられているんだね、ぼくも。さて、ウラジーミル・ナボコフの「ディフェンス」を楽しんだ。やはり仕掛けが多いけど、少なくともチェスのシステムの部分はわかりやすいのでありがたい。また、今回も1行目から仕掛けかい!って感じでございました。それを最後の行で落とすのかい!なんか笑っちゃいましたが。
この小説は、ナボコフ対ルージンのゲームでもあるんだけど、もう一方的なコンビネーションで、ルージンはディフェンスを考えるだけだというのが悲しい。勝ちようがないんだから。最後も自由に向かったというよりは、向かう目の前にさえチェス盤の幻影が見えているわけで、チェスの神様に捕まえられたんだから、結局はそれさえもナボコフの読み筋でメイト!という気がする。その他に黒のクイーン?としてルージン夫人がでてくるんですが、彼女も「愛」というわけではなく「憐憫」か「母性愛」の元にコンビネーションの一部に組み込まれているんですよね。またヴァレンチノフの再登場はディスカバードチェックみたいで楽しい。ヴァレンチノフはナイアーラトテップみたいですなあ。
小説全体のシステムを見ると、ルージン対神(作者)のゲームであると同時に、作者が読者に与えたプロブレムにもなっているわけで、反復の主題のほかに1行目がキームーブになって彼の人生自体がすでに入れ替えられていることや、そこからすでに運命の手は入っていることが、最後の行でわかるのがおもしろい(つうかこういう趣向は「透明な対象」でもあったんだけど)。そこをレトロで推測できるとより作品自体が味わい深いよなあと独り喜んだりします。
また、主登場人物は匿名性が高く、読者の世界→名前の世界(小説の世界)→匿名の世界(抽象の世界、チェスの世界)とすると、実は2段階上から一気に始まっているんだけど、ときどき上から見るとまるで影のように下の世界が見えそうなところがおもしろい。あるいはこの部分も逆算で見つけるとさらにおもしろい。もちろん2段階上のまま話を終わらせることも可能なんだけど、最後の2行は、最初からのコンビネーションであると同時に、開始時に駆け上がった段階を一段落とす役割もあって、小説の世界で終わらせるという役割も持っているような気がします。
というわけで、最初の1行は、解説にはトゥラチのプレーと対応していてルークポーンのオープニングのように思えるとあって、それは非常に納得なんだけど、全体をチェスプロブレムとすると、最後の2行からみて最初の1行がキームーブであるような気がする。つまり、その前(小説の始まる前)からコンビネーションの攻撃をすでに受けているわけです。かないっこ無いね。ルージンかわいそう。でも、実は人間が人生をチェスのように戦わなければならない理由はないので、ルージンが自ら陥っていく自殺詰(馬鹿詰)みたいなもんですよね。
そのようなレベルで読まないとしても、トゥラチとの対戦でルージンがあっちの世界にいっちゃいそうなところなんか手に汗にぎりますね。将棋や囲碁の棋士ではいっちゃったのはあんまり聞かないんだけど、昔将棋のすごさをどう書けるか?と考えたときに、これはSFしかないなあと思っていたんだけど(将棋SF)、ナボコフだと普通に書けちゃうんだよなあ。ちなみに一番危なそうだなあと思ったのは4冠王の頃の米長邦雄永世棋聖で、中原との王将戦で4時間近く考えていたときは本当にあちらに逝っちゃうんじゃないかと思っていた。そこで舞い戻ってくるSFのはずだった。そんなことはないのかなあと思っていたら、最近購入した「舛田将棋の世界」(真部一男)のなかに羽生王将の対談の言葉で「自分は時々狂気の世界に入っていきそうに感じるときがあり、行ってしまいたいとも思うが、そうすると帰ってくることができなくなるかもしれないので怖いような気もする」というのがあって、これって第8章の世界ってそのものじゃん、って感じで驚いた。
さて、前書きにも解説にもある通り、チェスのゲームのシステムもさることながら、このあたりはチェスプロブレムのレトロ解析を知っているとより一層楽しめることは確かです。だが、チェスもそうだしチェスプロブレムのあんまり良い資料無いんですよね。いくつか翻訳の若島正氏のページがあって、でも高度すぎる。。。海外ではいろんな本が出ていそうだけど、どれが良いのだろう。数学者の Raymond Smullyan の本が手元に2冊あります。「The Chess Mysteries of Sherlock Holmes」「The Chess Mysteries of the Arabian Knights」で、これらはレトロ解析の考え方がきちんと順追って会話体でかかれているので、レトロ解析という分野に入るにはちょうど良いのかも。ただ前者は、「シャーロック・ホームズのチェスミステリー Raymond Smullyan (原著), 野崎 昭弘 (翻訳)」と翻訳がでていたのか。。。いつのまにでて、いつの間に入手できなくなったのか全然知らなかった。とほほ。あと「ジャック・ピノーのダイナミックチェス入門」の最後はホームズとワトソンの会話体でサム・ロイドのパズルをレトロ解析しますんでこれはわかりやすいかな。
さて、以下は読んだ後でね。
名前と父姓が最後に現れることで、開始時に駆け上がった段階を一段落とす役割もあって、小説の世界で終わらせるという役割は勝手に思っているんですが、その上に最初の違和感(やルージンの疎外感)の状況が完全にはわかりません。なんだかルージンの父母は正式に結婚していなかったのかな?地理の先生との関係は?父姓が同じでも父親の名前だから、地理の先生が父親ってことはないよね。うーん、誰かキームーブを教えてください。