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December 31, 2005

●最後の審判の巨匠

book-Perutz-01.jpgレオ・ペルッツの「最後の審判の巨匠」を読む。ミステリ的な紹介もあるけど、どちらかというと幻想小説(というか私の思う妄想小説)に近い。最後まで読むと評価は両方に分かれるんだろうなー、と思う。私は最後の最後も信用できないので、好評価です。つうか惚れました。なによりも表現の不安定さが美しい。というわけで星4つ。私的には4.5でもよいけど推薦するかというと、ちょっと考えちゃいます。逆にこの本を好きだという人とはいろいろ語り合いたくなったり。レオ・ペルッツはどこかで聞いた名前だなーと思っていたら、国書刊行会の幻想文学大系に「第三の魔弾」があるのね。早速購入です。

二十世紀初頭のウィーンで、有名俳優ビショーフが庭の四阿(あずまや)で拳銃自殺とおぼしき怪死を遂げるのだが、それは本当に自殺だろうか?他に起こっている自殺事件の裏を通して「怪物」が暗躍している?という魅力的な筋書きですが、書いていると思われる男爵自体が危なっかしくてひどい(誉め言葉です)。ドイツにおける関口巽さんのように蒙昧としております。話の筋は推理小説的なフレームの中で進むのですが、その書き方や心理の跳び方はもう幻想小説として読まないとおもしろくないんじゃないかなあ。。。で、どんどん話が壊れていって、「後書きのための前書き」と「編集による後書」を読むにいたって、宙ぶらりんな状態に読者をおきざりにしていく感覚がまたたまらん。

なお、解説には「編集による後書」を事実としたような解釈を書いているけど、それはそれで信用してはいけないんだと思う。あれだけ「後書きのための前書き」に注意深く書かれていても、話が進むにつれてのめりこんでしまうわけで、男爵の記録の世界にのめりこんだ読者の心を中位まで戻すことが「編集による後書」の役割のように思います。これが一気に真実で、といえるほどに信用できる構成じゃないよね。読者はそれぞれいろいろな可能性を自分の中に作り上げるのが良いのだと思われ。このあたり読んでもらわないと意味が通じないと思うので、ここで隔靴掻痒感を味わっている人はぜひ購入して読んでください。

それにしても「喇叭赤」のイメージは強烈であって、犯人や推理小説としてどうのというより、人間の持つ恐怖、本当の恐怖とは何か?とそれをもってしてもつい要求してしまう芸術家精神とかエンジニアの心理探究心みたいなものが雰囲気を持ってえがかれていてすごいと思う。結局は悪魔と契約する精神と同じだよね。でもこのあたりペルッツさん話をうまく書け過ぎていて、立ち止まって考えさせてくれないのは欠点なんだろうか?でもこの描写(何か起こっていそうな怪しげな雰囲気)とストーリー爆裂性とビジョンの強烈さがまさに幻想小説の本道であるような気もする。

しかも解説でペルッツのほかの作品の紹介を見ていると、どれも読みたい!うーん邦訳されないかなあ。

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