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February 21, 2006

●みにくい白鳥

book-Strugatsukij-03.jpg週末に DNS とメールのほうを新サーバに移行してみたが、はて大丈夫だろうか?こういうとき1回線しかないとつらいなあ。。。まあ見えてるみたいだし、朝メールもきてたから大丈夫かな。SPAMメールはこういうときだけ役立つなあ。

さて、続いて A&B ストルガツキーの「みにくい白鳥」です。あんまり同じ作家を続けては読まないようにしているんですけど、今回は、作家自身が「モスクワ妄想倶楽部(びっこな運命)」と「みにくい白鳥」を組み合わせてひとつの作品「びっこな運命」にしているようなので、続けて読んだ。まあ「モスクワ妄想倶楽部」のほうはすこーし単独では弱いのかな。まあそれはそれとして単独では星4つで。

こちらのほうは SF 的な設定である。3年も雨の降り続く街で、病院には「濡れ男」という遺伝病患者がいて大人たちには忌み嫌われているが、子供たちは神童のように聡明で新しい世界に向けて何かが起こっているようにみえる。バネフはには何がおこっているのかわからないままに、その中心に巻き込まれていくようだ。

で、ストルガツキイの世界なので、なんか読んでいる私がバネフ状態であります(飲んだくれているわけではないけど)。この全体の一部しか触れない教えてくれない隔靴掻痒感はたまりませんなあ。新しい世界のことも旧体制の政治のことも群盲象をなでるみたいなもんで、うーむわからん。

・「濡れ男」は何者?消えたのはなぜ?
・小説の最後の天気は?
・小説の最後のバネフの選択は?

つうわけで、漠然と新人類との架け橋に「濡れ男」はいて、バネフも一部濡れ男気味で、雨季はその象徴ですべてを腐らせきっていって、しかし移行してしまえば太陽があらわるのだろうか?などと妄想したり。導き手の役割が終わったからどちらかに消えたのかな。旧世界と新世界どちらにも割り切れないところにバネフというか小説家がいるのだろうと思う。

「モスクワ妄想倶楽部(びっこな運命)」と交互になるとどうなるんだろう。ちょっと想像が難しいなあ。まず「モスクワ妄想倶楽部」の「ぼく」が書いている小説が「みにくい白鳥」になるんだろうけど、元々別に発表されているように、そんなにからむとも思えないんだけど、「ぼく」=バネフ、モスクワでの発表できない状態=雨季、ブルガーコフ=ゴーレムか子供たちか導き手(濡れ男なのかな?)みたいな鏡像の元に進んでいて、そりゃ最後晴れるとなれば体制批判に取られますわなあ。でもどちらも導き手の話をわかった上でけっこう宙ぶらりんな位置にいるのが着地点なのかな。10年後には指定されたように交互に読んでみよう。

時代やソビエトのことを考えると、どうしてもその体制の象徴として読んでしまうんだけど、子供たちの話は今でもなるほどーだな。つうか私自身は精神的には子供たちよりだし。ただ、何もできんところはバネフよりなのかもしれんけど。ただ、日本の今の子供たちが進むと、なんかもっと「みにくい」ことになりそうな気がする。。。で、「みにくい白鳥」なのは今の大人たちなの?それとも子供たち?大人たちは「きたないアヒル」で「美しいアヒル」がバネフなんだろうか?

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