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March 17, 2006

●ミルチャ・エリアーデ幻想小説全集第1巻

book-Eliade-01.jpg作品社の全集ではナボコフの短編作品全集や、このミルチャ・エリアーデ幻想小説全集など重要なものがあって、高いんだけどしかたなし。いや、この長編3作分くらいのボリュームが2冊分の読めるんだからよしとせねば。しかし読むのに時間がかかったわ。今回の第1巻では、初期?の「令嬢クリスティナ」「蛇」「ホーニヒベルガー博士の秘密」「セランポーレの夜」「大物」「弟思い」「一万二千頭の牛」「大尉の娘」が入っている。

「ホーニヒベルガー博士の秘密」「セランポーレの夜」は昔福武文庫で読んだなあ。そのときは、ふーん、という感想だったが、今回もいろいろ新たに発見したとはいえ、ふーん、という感じはぬぐえず。中では西欧ゴシックホラーの最高レベルとして「令嬢クリスティナ」、春の祭典的異世界異宗教的な「蛇」が好きだ。また「大物」も後者の系列として好きかも。「大尉の娘」の会話の発散具合は後の「ムントウリャサ通りで」を思わせて好きだ。というわけで、星4つということで。このあたりは「ホーニヒベルガー博士の秘密」「セランポーレの夜」が世間の評価ほど私は気に入っていないということでし。

令嬢クリスティナ

どうもエリアーデの作風は一般的な小説のフォーマットからいくとおかしい。というのは「ムントゥリャサ通りで」「ダヤン」「百合の花陰で」あたりのかつての感想なんですが、元々そうなのかわざとやっているのかよくわからなかったのですが、「令嬢クリスティナ」を読むと、最初の作品でこの出来ですかと驚く。西欧ゴシックホラーの最高レベルとしてすんごいなあ、という感じ。クリスティナのひんやりとした感じもシミナのロリータっぽい感じも、逃げられそうで逃げない感じも王道をいっています。

ただ、これは西欧的な構築感からの完璧さであって、この後の作品は表現内容もあって好きに書いちゃうのかなと勝手に思ったり。

これは最初なんだろうと思って読んでいたんだけれど、アンドロニクの異世界の人間のような立場がおもしろい。原始宗教的な祝祭といったものを感じるのは間違っているのだろうか?「春の祭典」で祭られているのはきっとこういう人々(あるいは神々)なんだろう。そういう比喩ではわかりにくければ「リバーダンス」のケルト的世界の人(?)と言っても良いかもしれない。

万能ではなく記憶を1日しかもてないところに限りない力とそのはかなさが感じられていいなあ。

ホーニヒベルガー博士の秘密

昔読んだときはもう少し面白かったような気もするんですけど、どうもヨガの秘儀の表現ばかりに偏っているようで、西洋の読者から見ると東洋の神秘的にみえるけど、まあペルッツの「最後の審判の巨匠」的な脳内麻薬のようにも見えちゃうので、平凡な東洋人としてはあんまり心動かなかった。これがエリアーデの最高の小説かというと、ぼくは全然そんなことはないと思うのである。

どうも私的にはヨガの訓練が肉体的なものばかりで精神的にまったく鍛えなくても上位の段階に入っていけるのは、そんなもんなんだろうかと納得いかないせいでもある。もうひとつは俗のなかの聖性という意味では、あんまり俗ではなくてつまらんというところだろうか。うーん、微妙さがないのね。

セランポーレの夜

これも「ホーニヒベルガー博士の秘密」と対で書かれているようで、タントラの秘儀の記述とでも言いましょうか。つうかやはり西洋視点の東洋の神秘的にみえて、ちょっとひきます。どちらもわざとらしさが嫌だわ。

これらは、それだけ読んでいるとおもしろいかもしれんのだけど、エリアーデでは「ムントゥリャサ通りで」「ダヤン」「百合の花陰で」あたりがすごいと思っているので、それと比較すると、あまりにも設定がしょぼいと感じるのであった。これも微妙さが不足。

大物

これはおもしろいいのう。原始宗教的な異世界と言う意味では「蛇」に近いような気もするけど、それをおもしろおかしく書いていく筆致がおもしろかった。アイデアはシンプルだけど、自然と交わっていく姿がおもしろすぎる。指輪物語のエントになっちゃうのかと思いましたわ。

弟思い

幻想文学ではないような気もするんだけど。やはり亡命の状況とそのあたりが主題なのかな。と言う意味で幻想文学っぽくはないので微妙だが、実は弟は・・・とかいろいろ妄想してみるのであった。

一万二千頭の牛

これも戦争の悲惨さを笑いのなかで異化して書いてしまうことでより心に残るわけだけど、六千頭の牛がなんでタイトルで「一万二千頭の牛」になっているかよくわからず。ゴーレも実は2回時間軸を繰り返しているということなんだろうか?なんか読み落としたかも。謎でし。

大尉の娘

登場人物間メタフィクションの構成に腹をかかえて笑った。ブルンドゥシュとアグリピナの会話はおもしろすぎる。アグリピナが著作者としてメタフィクション的な言辞を弄し、ブルンドゥシュは登場人物でありながら著作者の言葉は聴かずに自発的に動いているし、ある意味「落第」を通して反対的な立場になっていたりで笑える。ブルンドゥシュには「蛇」のアンドロニク的な感じもするなあ。この「大尉の娘」はおもしろかったし作品として好きだ。なんというか成立しない会話に以後の作品のような影を感じます。

小説家あるいは研究者、学者としての立場(=アグリピナ)と秘蹟の実践者としての立場(ブルンドゥシュ)があって、いずれもエリアーデなんだろうけど、やはりブルンドゥシュに憧れながらそうはなれない著作者としての立場がアグリピナに投影されているというか。でもアグリピナには語りの技があって、すなわちこれは「ムントウリャサ通り」につながっていく語り(=騙り)なんだけど。

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