●宇治
今日は有休なので三条あたりでのんびりと思ったのだが、昼に家を出たら天気がよいのでやはりどこかへいきたくなった。で、いくつかは候補もあったんだけど、部屋を出てしまったので地図などもなく、わかりやすいほうへということで宇治に向かうことにした。が、恥ずかしながら源氏物語読んでないんだよ。よんどきゃよかったね。
JRで宇治駅へ。その後やはり神社をということで、縣(あがた)神社をめざすんだけど、まずは宇治橋のほとりへ。ここを右に折れると平等院への道へ進むのが普通だけど、私はそのまままっすぐ縣神社へむかう。祭神は木花開耶姫で産土神とされているところはわら天神を思い出させます。ただ「山州名跡志」では弓削道鏡を祀っているとも書かれているとか。なお、その間に橋姫神社があって縁切りに効くようです。
で、平等院へは南門から。。。あいかわらず裏口から入っています。鳳凰堂は初めてかな。10円玉はだしませんでしたが。ぐるっとまわって鳳翔館ではCGでかつての色彩での状態をみることができたり、いろいろな宝物の展示があって、こちらはなかなかよかったです。平等院は藤原頼道によって1052年に建立とのことです。藤原氏絶頂の頃ではありますが末法思想ということでやはり世の中を憂しとみていることでしょうか。この後もでてきますが、宇治はどうも世捨て人というか世をはかなんでいる人の物語が多いのはなぜでしょう。
えー増水中で橘橋も喜撰橋も渡れず、一度宇治橋まで戻って渡りました。
宇治神社へ。。。というかその手前に小さな祠があって、写真はないですが末多武利(またふり)神社といいます。藤原忠文の怨霊を鎮魂するためだそうで、あいかわらず怨霊をめぐっているような。 宇治神社は次の宇治上神社と上下社として一対で「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と呼ばれてますが、祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)で、日本書紀によると大鷦鶺皇子(おおささぎのみこ)に皇位を譲るために自らの命を絶ったとのこと。兄の仁徳天皇(大鷦鶺皇子ですな)が霊を祭ったとのことですが、うーん、やはり裏には何かあって祟るのを祀っているような。。。
宇治上神社は世界遺産に登録されていますが、他の世界遺産のような派手なところはなく、山のふもとに凛として座している感じです。平安後期の最古の神社建築だそうで、三社流造の優美な形です。しかも本殿内に祭神の応神天皇、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)、仁徳天皇がそれぞれ祀られています。 平等院とは宇治川をはさんで対になっていますが、平等院の鎮守社とされているようで、極楽浄土は平等院に、崇り封じは東岸の神社群に・・・だったりして。
その後「源氏物語ミュージアム」の横をとおって彼方(おちかた)神社へ。本当に小さな社ではありますが、祭神は「諏訪明神」で、それ以前は海神の「宗像神」が祭られていたとのこと。出雲系ですなあ。。。
このあたり、梅原猛氏の「京都発見」を購入し読み始めているんだけど、今回の宇治の話もいろいろ載っていておもしろい。他の本はいろいろ読んでいたんだけど、「京都発見」は題材との距離感があって(というか知らなかったので)、手をだしてなかったんですが、今回読んでみるといろいろ回ったところが多くおもしろいね。でも仏教系はあんまりわかっていないので少し勉強しないといかんかなあ。。。