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September 23, 2006

●神功皇后とトヨヒメ

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前にも書いたのだが、日本神話と日本創世のあたりが推理小説的でおもしろい。関裕二氏の本はあまりにたくさんですぎているが、この三冊は紀行文としての軽さもうまくとりいれて面白いと思う。邪馬台国卑弥呼に対して、ヤマトの台与(トヨヒメ=神功皇后)が征伐し、後を継ぐがヤマトから逆に裏切られる話は天日槍との関係も含めて、なかなか説得感がある。ただ、以下のように疑問に思うところもあり。

・神功皇后=トヨヒメとすると、ヌナカワヒメ説話も含めて活動範囲が出雲、九州、越と広すぎないか?

・多くの八幡宮で比売大神と神功皇后が別に祭られているのはなぜか?

・トヨヒメ=伊勢外宮の豊受大神とすると、天照大神は誰になるのか?上記のように卑弥呼=九州の一首長とすると、天照大神である理由はない。

・応神天皇をどう解釈するか?(幼いときに喪船にいれられる、気比大神と名前を取り替えている、仁徳天皇と同一人物説がある、童子の姿で現れて祀られる)

・「豊」の扱いに関して、蘇我氏や推古天皇の時代に復活しているのはなぜか?

さて、私は以下のように妄想しております。

個人的にはその後いろいろ読んでみて、 トヨヒメ=神功皇后ではなく、やはりトヨヒメと神功皇后は別人で伝えられるように妹かあるいはお互い天日槍を夫としての義理の姉妹関係ではないかと思ったりする。もっともその頃に義理の姉妹みたいな言い方はないかもしれないけど。で、神功皇后は伝説にあるように朝鮮系の関係が深く、トヨヒメは出雲出身ではないかと思うのだ。で、天日槍と神功皇后が海峡をはさんで、あるいは日本の本州とやり取りしている間にトヨヒメは代理というか代表として北九州を治めていたため、「豊の国」でありトヨヒメ信仰が深いのではなかろうか?

その後ヤマトの裏切りにあったことは関裕二氏の考えと同様であるが、その難を逃れるために神功皇后と応神天皇1(イサザワケ:ただし後のホムタワケとは逆かもしれないが便宜上仮にこうよんでおく)は南九州へ、天日槍とトヨヒメと応神天皇2(ホムタワケ)は出雲から越のほうへと逃れたのではないかと考えている。神功皇后と応神天皇1(イサザワケ)は九州で捉えられ、宇佐八幡宮宮司の宇佐氏口伝にあるように香椎廟で獄死する(イサザワケも4歳で死亡)。

しかしヤマトでのひどい疫病の発生などが神功皇后と応神天皇の崇りとされ、それを祀るために天皇として応神東遷(神武東遷)が行われるのであるが、 実際のイサザワケはすでに亡くなっているので、「ホムタワケを神功皇后の子の応神天皇」として迎えたのではなかろうか?この部分は二人一役となるわけである。またこう考えることで、名前の交換や喪船の話がスムーズに解釈できるように思う。もちろん神功皇后と応神天皇が崇る部分はかわりはないのだが。

応神天皇代理としてのヤマト入り終了後は、基本的に仁徳天皇として語られているように思われる。今度は一人二役なわけですね。まあ正確にはイサザワケとホムダワケによる複雑な二人二役を鎮魂のために演じていると考えています。したがって天皇家の祖は神功皇后と応神天皇なので祟らないでください(実際にはトヨヒメの系統なのだが)というわけです。実際にはトヨヒメの系統なので、天照大神はヤマトには居場所がなく伊勢まで流浪の旅をすることになるのでしょう。

また、出雲系の蘇我氏としては継体天皇以降豪族として復活(我れ蘇りである)したときに、「豊」を多く名乗りヒスイを大切にするのは神功皇后というよりも出雲の「トヨヒメ」の王統の子孫を高らかに宣言しているような気がする。また、八幡宮の比売大神はトヨヒメのことだし、天照大神=神功皇后、豊受大神=トヨヒメで実は天照大神を封じ込めている意味があるのではないだろうか?(ちなみに豊受大神=倉稲魂神で稲荷ではないかとも思っているがこれは少々別の話)これで、天照大神を祀るようでありながら実は豊受大神を祀っていること。ただし崇りのために実際は豊受大神が祖神であることは秘中の秘ということになるのではないかと思う。

というふうに妄想するのはなかなか楽しい。ただ、まだ宗像の位置づけがよくわからず、「宗像の子は住吉、住吉の子は宇佐」というのはおもしろい。

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