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May 20, 2009

●高野聖・歌行燈

book-IzumiKyouka-01.jpg日本文学を読むのはずいぶんお久のような気がする。古典的なものを読んでいたのは主に高校の頃だから、きっと何もわからずに読んでいたのだ。もちろんその頃に読むことも重要な体験ではあるが、やはりそれだけでは足りないのだろうと思う。

で、泉鏡花を読みたくなって「高野聖・歌行燈」を読んだ。鏡花というと幻想文学で「高野聖」が面白いかと思ったが、いや、それはそれで面白いのだが、自分的には「歌行燈」がおもしろかったあたりが、昔と読み方が変わっているところであろう。「高野聖」も面白いがいわゆる普通の小説の形をしている。「歌行燈」は現代の小説の形から跳躍した展開と形式が面白い。

弥二さん喜多さん的な江戸黄表紙本の地口的な冗談みたいな話から、運命が絡み合う展開へどんどん加速していくのだ。しかも描写がまるで映像的。 最後は能の舞の中での交錯。。。うーん、能そのものかい。

というわけで、鏡花だけでなく、日本文学も読み直してみようかと思っている。

コメント

泉鏡花は大学時代に読みました。
日本の妖怪(というか霊的なもの)はこっちから害を加えたり、提示されたルールを破ったりして初めて攻撃対象となります。
一方海外の例えばドラキュラなどを見てみると一方的に攻撃を仕掛けてきて人間は守らなければいけない、という構図になっていると思うのですが……

西洋のものは思考レベルが人間に近い気がしますが、日本の場合はレベルが違うというか、よくわからん気がします。「高野聖」でもそれほどルールを守ったからかはわからないですね。向こうの気分次第というか。
また、平安時代も祟りの概念と近代的な幽霊の概念も結構違いますし。。。

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